棘〜IBARA〜第八話〜『箱庭の未来に』




「アスラン…それは本当なの…」
表情を無くしたキラがアスランにそう呟く。
「ああ…もう手遅れだった。」


横たわる黒髪の少年は、痛々しい包帯が全身に巻かれて、意識不明だった。
頭上から落ちる点滴の滴が、華奢な腕に命綱のように繋がれている。
口元には呼吸器具が取り付けられていた。
静かな空間枕元で酸素機がポコポコと音を立てて 、呼吸ままならない者に手助けする供給をしていた。

ザフトの医療施設の一室…

そこで重体となっている少年の名は…シン=アスカ…
衰弱しきって、怪我とも、虐待とも言えない生々しい状態で治療を受けている。
それを心配そうに看ている者は、キラ=ヤマトとアスラン=ザラ。
ベッドの横で椅子に座っているアスラン。そしてキラは
「アスラン。僕の所為だ。僕だけがそれを知っていたのに…。」
前もってレイに直接挑発されていたキラは、その事を未然に防げなかった事を悔いる。
唯一彼等の悪意を嗅ぎ分けられたのに…
「キラ。お前の所為じゃない!まさかこんな事態…誰も予測できなかった。」
「そうじゃない。何処かでわかっていたんだ。シンが壊されるのを。
でもつまらない独りよがりの苦しみを理由に、彼を奈落の底に叩き落したんだ。」
「キラ…。」
「どうしたら良いんだ。どうしたら無くしたものを取り戻せるんだ。 アスラン…誰か教えてくれ。」


何故そんな事になったのか。
それは単純な悪意の元で行われたものだった。


シンがギルバ−ドの別荘に招待されて一週間…
全く連絡が無いことに、一抹の不安を感じたキラは
「アスラン…シンから何か通信が無いかい?」
一応OBとして名誉隊員として、アカデミ−の生徒を指導する資格のあるアスラン。
優秀な成績で卒業して、赤服のエリ−トに当然の如く入隊し、キラに再会する前まで、 全く完璧なまでの結果を収めていた。
それを見込まれて、若き後輩のサポ−トに回っていた。
だからシンにとっての指導者にも当たる。
凡そ普段のシンについてキラよりも情報を握っている。
今までのキラとは違い、自然とアスランに相談していた。
「無いな…。俺も気にしていたところだ。ヴィ−ノからは議長に呼ばれたと 報告は受けたが…。」
「何だって!一体いつなんだ。それは。」
「一週間前らしい。メイリンがレイに議長からだと渡された手紙を、 彼が届けてそれから消息を絶った。それから今に至るが…。」




そして翌朝、レイが泣きながらシンをアスランに預けた。
酷く後悔と悲嘆にくれた表情で



『アスラン…俺はシンをこの手で壊した。たった一人俺の知らない世界に、
シンはいってしまった。だから…どうかシンを救ってやって…』



以前からアスランでも解りすぎていた、レイの狂気が穏やかになっていた。
他人の痛みに無頓着なレイが、初めて知ったのが皮肉にもシンへの愛…。
それと引き換えに失ったのが、シンの微かにあった生気(ひかり)だった。
多くは語らず、ただぼろぼろのシンを残し、姿を消したレイ。
儚く頼りなげな背中には、深い哀愁が漂っていた。
誰にも救っては貰えず、自ら心を閉ざすか、闇に食われるかのそんな印象をうけたとアスランは語る。
キラは嘗ての自分と似ていると、アスランにレイの行方を捜してもらうため、 きっとシンもそれを望んでいるからと訴えた。
自分で行けば冷静でいられない、だからそうして欲しいと願う。
「しかしこんな酷い事を平然とやってのけたのはレイだろう。」
「それはわかっている。でも僕にはわかるんだ。レイはずっとシンを求めていたんだと。
でも本人にはそれを気付く余裕が無くて、でも欲しくてどうしたらいいのか分らなかったと思うんだ。」
「好きだったらどうして素直に大切にしてやらないんだ。可笑しいよ。あいつ。」
アスランはシンを初めて抱いた事を思い出す。
お互いに自然と重なり合っていく想いで、その証として愛し合った。
アスランにはシンを傷付けて喜ぶ趣味はない。
寧ろ本気でシンと恋人となろうと思ったが、彼を思い遣りその一歩が踏み込めなかった。
それほどに実際は惚れている。
正直だからこそキラやレイがシンに対して、どうしてそんな真似が出来るのが信じられない。
誰にとってもシンは最後に残った、細い希望と言う名の藁だった。


すっかり数日で痩せ細った頬を撫でて、キラは自分の手を握って祈りを捧げた。
「どうして僕は駄目な男なんだ。ト−ルの献身的な友情にも、フレイの孤独にも気が付かない。
彼等が消えて居なくなるまで…。今度は間違わないと決めていたのに…。」
キラの頬に後悔の涙が伝う。
記憶を無理やり塗り替えられたとはいえ、もしかしたらシンの居場所をこの手で奪っていたかもしれない可能性。
まだ何も変わっていない現実に、キラは絶望しかけた。
そんな刹那…

『キラさん…ここはどこ…』
「ここはZAFTの施設中だよ。」
『あれ…俺はレイと一緒に議長から逃げて…』
目覚めたてでて、頭が混乱していた。
瞳は虚ろで身体も動かないほど衰弱して、点滴の針がシンの腕に刺さっていた。
『レイは…無事なの?!』
それどころじゃない自分の身の上なのにどうしてこんな言葉を与えるのか…
言いながら、シンの頬を伝う一筋の微かな涙。

「それより自分の方が大変じゃないか…」

せつない感情にキラは突き動かされたように、その涙を指でなぞる。
意識朦朧として、再び眠りそうになっているシンに
「僕が君をどこにもやらない。きっとレイやアスランより君を幸せにするよ。」
耳元に囁きかけ、彼の頬にキスをした。
いまはっきりとキラはシンに恋愛感情を抱いていると自覚した。


徐々に食事を摂れる位によくなっていたシンは、それでも発作的に暗闇になると震えて暴れた。
そんなシンをただ抱き締めて、介抱するしかキラは出来なかった。
泣きながらキラの胸に顔を埋めて、脳裏にフラッシュバックする悪夢の時間に恐怖していた。
「もう嫌だ。来ないで。来ないでよ。」
何かを掃うように掌で宙を仰ぎ、意識を飛ばす。
その姿を見ていられないキラは、一晩中シンを抱き締めた。


「シン…。大丈夫かな?」
心配でシンの様子をみに行こうとしたアスランは、寝巻姿で廊下をふらふらと出歩くシンを見付けた。
歩くのが辛いのだが、重い身体を引き摺りレイの部屋の前で佇んでいた。
「レイ。お前はずるいよ。議長の一件は俺達二人で解決しようと言ったじゃないか。
俺だって議長との接点(しんじつ)を確かめたい。どうして俺を待ってくれなかったんだ。」
シンを逃がす為、議長と袂を分かったレイを心配しているシンはその場でしゃがみ込む。
確かにレイの弱さが招いたわが身の不幸を、シンは議長らの仕打ちから復讐してもよかった。
どんなに拭ってもきっと忘れない。
相手がどんなに謝ってきても、許せない位に心は固く決めている。
しかしこれは命の誕生を捻じ曲げた人々の傲慢さが招いたことで、レイはもちろん議長も犠牲者だった。
行き場のない感情がぐるぐるとシンのなかで駆け巡るが…
「あれっ…なんで俺泣いているんだ?」
床にはらはらと滴が落ちて、自分の頬を確認するとやはり涙が伝っていた。
周囲の身勝手な感情に振り回されて、それに対して何も抵抗出来ない自分が嫌になっていた。


そんなシンの弱い背中をみてアスランはひとつの決意をした。
同情でもレイやキラという恋敵が現れたからではない。
自分以外シンの事を受け止められる者はいない。
強がっているが人一倍孤独にふるえて、根が優しいから不器用な生き方しか選択できない。
少し前の自分と似ているシンが愛おしい。
一緒に寄り添いどんな事でも乗り越えてゆきたい。
「シン…俺がお前を守る。もう迷わない。お前を俺の恋人にするよ。」
背中越しで聞こえるアスランの言葉に、シンは振り返り
「もう嘘は嫌だ。みんな嘘吐きだから。俺だけ何も知らなくって…誰も本当の事を言ってくれない。だから…。」
「シン。俺はお前に本当しか言っていない。出会った頃からずっと…。」
アスランはシンを抱き締め言い聞かせるように囁く。
随分この告白に時間がかかったが偽っていた訳ではない。


「シン愛している。」