棘〜IBARA〜第六話〜『焔の秘め事』




圧し掛かってくるキラにシンは
「何がキラさんを追い詰めているんですか。本当は優しいのに…。」
戦争はこんなにも人の心を歪ませるのか。
本当はキラこそがナイフで届かない場所でもがいているのかもしれない。

落日の慰霊碑の前…キラはシン以上に胸に去来するものがあったのかもしれない。
少しばかり自分より早く生まれた分、そこに沢山の喜びと悲しみがあった。


−多分自分を憎むことで自己を保っている−


他人に憎悪を向けるより、キラが無意識にしていること。
そっとシンはキラの首に腕をまわして
「現在(いま)キラさんは生きているんだ。そのことを誰も責められない。
俺も家族を守りたかった。でもあの時の俺は抱えられるほどこの腕は大きくなかった。
小さくて弱くて、自分を何度呪ったかわかりません。でも家族が生きた証は俺自身なんだ。
この身体に流れる血が絆。アスランから聞きました。沢山のものを喪ったと。
でもその人達が守ろうとしたキラさんを、キラさん自身が壊してどうするの?」


泣きながらキラに訴えるシンをキラは
「でも僕が居なければもっと彼等は幸せだった。それを…。」

エルとのオレンジの折り紙の花。
知り合って数回言葉を交わしただけの女の子を、僕は守りきれなかった。

ト−ルの友情の特攻。
最後に彼と食事をしたのは。思い出せない。
アスランとの敵対関係で困惑して、本当の意味で周囲を思い遣れなかった後悔。

そして一度も安心して微笑んでくれなかった最愛の人。フレイ。
僕と関わらなければ、悲しみを知ることもなかった。
しかし誰もキラを本気で憎まなかった。
それがずっとキラを自虐的な性格にさせていた。


「シン…答えてくれ。僕は存在してもいい者なのか?」
「当然だよ。居なくなったら俺…いやです。」
キラははじめてシンを暖かな感情で見つめ返した。
自分の為に怒ったり笑ったり、沢山の感情をストレ−トに表す。
それがキラの醜さを鮮やかにだけにはさせず、救いの腕(かいな)になっていく。


「ねぇ。アスランが好きなのか?シンは。」
何の前ふりもなく話すキラに、シンは真っ赤になって
「俺の心を救ってくれたはじめての男性(ひと)だから。それに…。」
「でも君も知っているとは思うが、彼の好きな人は…。」
「本当はラクスさんですよね。オ−ブの代表のあいつと言うより。以前ベッドで話してくれました。
彼女の父親を討ったのが自分の父親だった。だから決して結ばれないと。」
そしてもう一人キラという、かけがえの無い唯一無二の存在も…
重ならない自分とアスランの過去の時間を、シンはどこか寂しかった。
瞳を伏せて報われない片思いに終止符を打つように
「いいんだ。このままで…。」


キラはすっかりシンに感情移入して、失念していたことをこの時は思い出さなかった。
それを少しでも重く感じていたら、後の運命を回避出来ていた。
そう…
このキラとシンの優しいまどろみの瞬間を、 設置されたカメラで観察していた暴君が居ることを彼等は感じなかった。


「シン議長がお呼びだそうだ。」
スパナを片手に持ってヴィ−ノが話しかけてきた。
パイロット志望ではなく、メカニック志望の数少ない友人。
本当なら何の接点も無いのだが、ヴィ−ノがシンと共同のカリキュラム…
実際の模擬戦闘の授業で、一緒に組んで訓練したときからずっとマブダチ。
「振り回すなよ。危ないなぁ。でも議長が何で?」
「俺の彼女メイリンに伝言されただけだから、何とも言えないけど…。」
「まぁいいか。召集されたら逆らえないし…。」
ヴィ−ノの機械のオイルまみれの汚いポケットから、取り出された一通の招待状。
一兵士を呼びつけるのは不似合いな感じだった。
しかしシンはそんな事に疑問を抱かなかった。
それより、アスランへの懸念や、キラとの遣り直しの事で頭がいっぱいだった。
そして刹那に出会った少女の事も…


「シン。俺が送ろうか?」
いつの間に背後に立ったのか分からないレイが呼びかける。
気が付けばシンの気配がある場所に必ず居る。
「良いのか?レイ。でも明日デスティニ−ガンダムの適正テストだろ?レイの。」
「それは明後日に変更された。アッシ−位なら大丈夫だ。」
「レイって気前良いな。やっぱり優等生。シンお願いしたら…。」
「そうだな。ではお言葉に甘えるよ。」
そして議長の待つ別荘へ赴いた。


そんなにアカデミ−からは離れては居ない場所。
しかしコロニ−内で唯一地球に存在する海がある、 そんな名所にギルバ−ドの煉瓦仕立ての別荘があった。
仮想の海で潮騒もどこか機械的に感じられる。
海水でないので、住んでいる魚類は淡水魚だけで海の幸など皆無。
しかしそれでも高名な権力者は、近くに張り合って別宅をつくっている。
だがそんな愉快な理由でなく、 シンのための檻の為に建築されたと言っても過言でない。
どこか病んでいるレイの希望で作られた。
感情を失って、幸せから隔離された悲しいレイ…
でも懸命にギルバ−ドは情緒を養うために、ありとあらゆることを習わせた。
そこでも沢山の才能はあったのだが、本人の関心は全くなく困っていた。
しかしニコルと呼ばれる軍人ピアニストの毀れる演奏で、レイが鍵盤を楽しむようになった。
それから レイの中にあった眠っていたピアニストの才覚に漸く気付いたギルバ−ドが、
それを思い存分伸ばしていけるために急遽建築された。
防音効果があり、決して中での音が外部に漏れない。
防犯設備も完璧で、部外者や侵入者をこの聖域に踏み込ませない。
レイの世界を守るための潔癖なサンクチュアリ。
当初はそんなギルバ−ドの優しい配慮から生まれた空間だった。
だが月日とは無常なもので、レイの狂乱の戯れの場所と化していた。
そう…そこでシンの悪夢が始まった。
其処に車で誘われるシン。


後に議長に送られたタキシ−ドを、少々恥ずかしい思いをしながらシンは着こなした。
それを是非着衣して来てくれと命令されれば、断る理由はない。
黒い服は紅蓮の色をした瞳のシンによく映えていた。
だが制服のだらしない着方と同じで首元が苦しいからと、車の中ではリボンを緩めていた。
それが屋根のないオ−プンカ−であるがゆえ、風に吹かれてちらちらとシンの うなじを見せていた。
産毛がまだ少し残っている白い首筋…
それを横目でレイは視線を寄せていた。


−シン…俺を誘っているのか…。−

無邪気に潮騒を感じているシン。
幼さと気丈さがアンバランスな位置にある。
どんどん欲望が生まれてきそうな時、
「レイ。ちょっと飛ばしすぎじゃないか?かなりスピ−ドが…。」
一応コロニ−内でも交通規則は存在する。それの制限速度を軽く超えている。
それを促したシンをレイは無視した。
しかもあろう事か、人気がない海沿いの林の中に車をねじ込み停車させた。
「どうしたんだ。電気切れか?だったら人を…。うっ…」
軋むシ−トの上でレイは何の前触れもなく、不意を付いたようにシンの唇を奪う。
肩に指が食い込むように圧し掛かられて、シンは激しく抵抗した。
身体で精一杯もがいて、首をめいいっぱい振ってレイの口付けから逃れようとしていた。
しかし冗談ではなく、本気でシンを蹂躙するレイには無駄な行動だった。


「う…っっぅ…う…」
呼吸が苦しく、瞳の端から涙が伝い零れはじめたシン。
支配される恐怖に縮こまる雛鳥の様だった。
悲痛な声が微かに漏れて、レイはどうにかなってしまいそうになっていた。
更にシンを狂わせたい言う優越感。
第三者によって屈辱に打ち震える彼を見ていたいと言う破滅的な考え…
そのどちらも駆け巡る。そして…

−シン…俺の事を憎め…激しく…−