棘〜IBARA〜第四話〜『危険な警戒音』




『敗北した君に自由はない―――』


キラはシンの細い手首を掴んで、耳元で囁いた。
ナイフで掠めた場所は左脇腹。
そう心臓の直ぐ隣だった。


元来ス−パ−コ−ディネ−タ−として生を受けたキラに、非凡な才能が介在する。
瞳の紫が色濃く現れて、そして頭で何かを弾かせた時、それは前触れもなく 行動として周囲を驚愕させる。
かつてラクスがこんな事を話した。
「キラの瞳は青い自然人類や赤い想像人類の狭間で揺れる紫の眼。
どちらでもあってどちらでもない不思議な瞳。私は時々それが怖いのです。」
「何故?」
「それは諸刃の刃。仲間であり敵である不透明な存在。だからです。」
最近ではずっと痩せたラクスが、苦笑いを浮かべてそう語った。
―――僕はこうもりだね。鳥類か哺乳類かのはみ出された存在――
仲間などこの世には自分達しかいない。
寂しい存在…
それを認めたくなくて、囀っている。およそどちらにも無視されながら…


でも漸く半身を見つけた。
自分を陥れる危険な獲物を…
「俺が負けた…そんなの認めたくない。」
余程勝算があったのだろう。シンが言葉を失っている。
そのざまをキラは満足気に冷たい表情で見つめていた。
「勝ったのだから。僕の条件を飲んでもらうよ。シン。」
シンはキラを直視できず、地面を見ながら唇を噛んでいた。
それを気に障ったキラは、シンの顎を指で掴んで上向きにさせて
「今から僕の人形になるんだ。何でも言う事をきき逆らわない、 そんな素敵な愛玩動物に…」
無体なことを要求するキラに、シンは激怒してキラを突き飛ばして
「冗談じゃない!!何でそんなことを…。」
すっかり機嫌を悪くしたシンは、立ち去ろうとしたが
(君はアスランの癒しを受けて、レイの激情を受け入れた。
それなのに僕は範疇外か?何処までも君は自分を捨てないんだね。)
想像のシンの性交に憤りを覚えた。


アスランの下で、甘えた声で啼きあまつさえ首に腕を回してせがんでいるシン…


レイの射抜く視線に従順で、そして獣のように猛る彼の楔に快楽を覚えるシン…



そしてギルバ−トとも関係していると言わしめる魔性。

それが一切自分を素通りしている現実に、嫉妬を超えた憎しみが擡げる。
出口の無い苦悩はもう御免だ。
生きるだけの機能しかなかった歳月の再来は…
徐にシンの腕を素早く掴んで…
「敗北した君に自由は無い…」
フリ−ダム=自由を駆って、戦闘していた自分が他人の自由を奪う。
本来はそれが許されない相手でも…
そして間近に迫るシンの睨む顔を覆った。


思いのほか柔らかいシンの唇は、キラを貪欲にした。
昨日はレイの暴挙を静かに、そして熱く受け入れていたその場所。
他人のお下がりなんて御免蒙る。
だがアレが無ければキラはシンを切望しなかった。
時に人は普段目にするものに、本当の愛着が生まれにくいとも言われる。
そこにあるのが当たり前の存在に有り難味を感じはしない。
しかしそれが位置を変革させた時、初めてその存在が鮮やかに映る。
失ったり、奪われたり、自分の目が届かない場所に行っても…


−シンが憎い−

どうしようもない気持ちがキラを追い詰める。
生暖かい舌先が、シンを絡めとり乱暴に扱う。
気性は穏やかだと誰にも思われているキラ。
それは争う事が醜いと知っているから…


必死で抵抗するシンはキラの唇を噛んだ。
口腔に広がる血の生々しい味が苦い。
キラの薄いそれに伝う赤い色…
そしてシンは一瞬の隙を見てその場から逃げ去った。


「うっ…ぐ。うっ…。」
トイレの鏡台の前でシンは震えながら泣いていた。
汚れた口内をうがいをしながら、ごしごしと拭って
「どうしてこんな…何だってあんな冷たい瞳を…。」
シンはキラが怖かった。
いつもどこか憎しみにも似た感情をぶつけてくる。
確かに優しさも同時に感じるが…
「何があったんだろう。俺と出会う前に…。」


「それは残酷な現実ばかりだったよ。キラは…。」
「アスラン…。」
「シンよく聞くんだ。俺達はお前と同じ刻(とき)の戦争、敵同志であったんだ。
最初は偶然だった。俺が奇襲をかけた場所がキラの居場所だった。
母親を喪って見失っていたんだ。色々な事を。 父親を受け止める勇気も、母親が愛した安らぎを継ぐことも。
ただ壊れた幸せにすがって、未来にあるはずのやり直せる勇気を信じられなかった。
その弱さがキラを戦争の渦中に引きずり込んだ。」
「もういい。そんなに傷付いて話さなくても…。」
「いや言わせてくれ。そして彼の親友や仲間。そして彼の愛おしい人まで奪った。
俺はキラにトリィを渡した。幸せの青い鳥にちなんで。でも俺自身が不幸の種だった。
俺が居なくなればキラは真の幸福に巡りあえるんだ。」


アスランの決して消えない後悔と言う名の…罪−
誰よりも戦争から遠くに居て欲しかった相手(キラ)。
それを自らの手で壊して、知りたくも無かった真実も…
顔に手をあてて悔しさと恥ずかしさを込めて、アスランは涙を流していた。
肩を震わせて声を殺すように泣いている。
その彼をシンは可哀想などと言う同情より、頼りない彼を包んであげたく
「俺は見てない。だから思い切り泣いてよ。」
そっとアスランの頭を抱きしめて、胸元をハンカチ代わりにと強く引き寄せた。


…アスランのために何が出来るんだろう−

一番精神的にどん底にいた時、差し伸べてくれた優しい手……

そして癒しのキス…

生きていると教えてくれた愛撫…

全てが暖かな陽だまりだった。


レイの強引なSEXよりも、キラの憎悪を込めた意趣返しも要らない。
自分はアスランの隣に居たい。
恋人よりも…そしてキラよりも…
欠けている心を互いに補って、支えあっていきたい。
止まったオノゴノ島からの時計を、自分も動かしてオ−ブでの事を受け止めたい。


アスランと共に…

丁度シンがアスランの部屋に駆け込んでいた頃…

「逃げられたんですか。やはり。」
「レイ…。」
孤独な部屋に訪ねてきたレイは、ベッドに座り込んで俯いているキラに話しかけた。
電気も点けずに暗い表情をしながら、レイを見上げた。
「貴方はシンを最初から嫌悪していた。優しいふりをしながら観察していた。
俺も同種なのですぐに気が付きましたよ。俺達はシンを愛したいのではなく、 壊したいのだと…。」
「違う!!確かに彼に対して好意には感じていない。でも…。」
「違わないんです。その唇の乾いた血は何よりの証拠です。」
自分でも混乱してシンを詰った結果をレイに指摘される。
整ったルックスに不似合いな噛み付かれた傷…
そっと指でなぞると、そこにシンの温かさと味を思い出す。
衝動的とは言え、自分より少しばかり小さい唇。
口を開けば礼儀知らずな言葉ばかりだが、それゆえ男の支配欲を駆り立てる。
誘うような薄い赤い瞳…
それに手を伸ばせばどれほど夢見心地か−
自分と大して変わらない唾液すら、雄を惑わす蜜としか感じられない。
舌を使って丹念に味わいたかったが、

(シンはこの僕を拒絶した…)

その奥まで嘗め回すそれを半ば中断された事の怒り…
それを振り返っては暗い澱んだ感情に振り回される。
「止めたほうが良いですよ。あれは俺とギルのものです。」
「何を根拠に…。」
「シンの記憶は俺に握られています。貴方やアスランの思い出をシンから消して欲しいですか?」
「何をバカなことを…。」


「シンの家族は地球に普通に生きていますよ。息子が攫われたことも知らずに…。
俺達の病んだ心を癒す愛玩動物として、シンは選ばれた誉高い少年です。」