檻〜EDEN〜第三話〜『魔性の口付け』





そして晴れて知り合いになった二人は


「シン!起床時間だ。起きろ!」
「眠い・・後3分だけ寝かせて欲しい。」
「何を言っているんだ。俺達の決意はそんなにいい加減なものではないだろう。」
布団をはいでレイはシンをたたき起こした。
そんな風に起こされ、低血圧なシンは最悪な目覚めとなった。
髪の毛は寝癖ではねている惚けた顔で、レイが自分のシ−ツをリネン室で交換する姿を見ていた。
(ルナマリアが二人いる気分だ。)


そしてのそのそと起きてシンは洗顔の後、鏡を覗き込み
「みっともないな。レイに面倒みられるなんて・・。お前もそう思うだろう・・マユ・・」
可愛くオシャレして、両親に溺愛された妹。
朝はシン同様苦手で、でもどこかしっかりしていたシンの自慢の妹。
その長い髪をよく母親に結ってもらっていて、自宅の化粧室を占拠していた懐かしい思い出。
まだ何もシンの中では色あせない昨日(かこ)だった。


頼りなげな背中を戻ってきたレイは、ずっと背後から窺っていた。
生き地獄から這い上がってきたシンにかける言葉は、レイは携えていない。
でもそのマユと言う少女は、シンの中で大半を占めている事は変えられない事であり・・
「シン・・俺はその少女に嫉妬を覚えるよ。俺と同じからっぽのお前が心委ねているその娘に・・」
また滴り落ちる水をブラインドにして、シンは一筋の涙を伝わせた。
人前で泣きたくない事をレイは感じ、シンのクロ−ゼットに移動して仕度を手伝いその場を離れた。
そして蛇口から流れる水音が、シンの悲愴感を掻き消した。


「で・・シンはレイと朝食か。やっぱりいいなぁ。これが噂のアレなのかしら。」
トレ−で配給される朝食をルナマリアは手に持って、妹のメイリンの前に座った。
そのにやにやした表情にメイリンは
「お姉ちゃん。そんな訳無いよ。だってシンはお姉ちゃんのものでしょう?」
「手のかかる弟は確かね。それよりメイリンは最強の好敵手出現ね。だって好きなんでしょう。シンが・・」
聞くなりフォ−クを落としたメイリンは、顔を真っ赤にさせた。
「なななな・・何を言っているの・・」
「誤魔化さない!何時も引っ込み思案なメイリンが何時もシンを眼で追っている事は解るよ。
でも困ったわね。レイは私達の中でも 一目置かれている位いい男だから・・」
今度は青ざめた表情で、半泣き状態なメイリンをルナマリアは
「私に任せなさい。あの二人を徹底的に邪魔してあげるから。」


「シン・・好き嫌いは良くないぞ。」
殆ど手につけないシンにいきなり説教し始めた。
シンはいつも半分以上食べない主義だった。
食べられないというのが本当の事だった。
一種のトラウマ状態で、特に肉料理が苦手だった。
「野菜はしっかり食べているよ。だからいいじゃないか。」
「一日30品目を食べるのが理想なんだよ。これでは蛋白質が足りなくなる。
偏食が兵士の肉体の基礎を侵害しているんだ。分かるか?」
「はいはい・・講釈ありがとう。でも駄目なものは駄目なんだ。こればっかりは・・」


そのシンの頑な態度が、レイの心に火をつけた。
あろうことかサイコロステ−キを唇に挟んで立ち上がり、シンの口に宛がい彼の口に運んだ。
いきなり不意をつかれたシンは、すぐさま嚥下し飲み込んでしまった。
「い・・嫌だって言ったのに・・」
吐き出そうとするシンだったが不可能だった。
生々しい食感がリアルに甦るが、シンは同時にレイが自分の唇に微かに触れた事を思い出した。


(何だってこんな事をするんだ。俺の事をほって置いてくれても良さそうなのに・・)
最近自分に構う人が多くて、シンは処理しきれなかった。
しかも今のはキスのようだったのが、羞恥心に変わり
「俺・・レイともう食事しない。」
「無理な相談だ。シンには俺が必要だから・・」
「馬鹿なことを言うな。」
「自覚が無いなら教えてやる。ずっと傍にいて・・」
「だからそれは御免だ。」


口論が続き二人は肩で息をしていた。
目下気障な台詞でレイが圧倒したが、シンはどうしてもその不信感が付き纏い、訓練中まで頭の中は混乱していた。
そして戻ってきた部屋でシャワ−も浴びず、疲れた心身をベッドに預けて
「同情か・・レイなりの・・。そんな不確かな優しさは要らないのに・・」
暗がかりの部屋で縮こまりながら眠るシンの口から零れた言葉。
その独り言を聞いたレイは衝動的な行動に誘った。
そろりと起き上がって、シャワ−を浴びる為にバスル−ムに駆け込んだ。
ジャグジ−から流れるお湯が、今日の疲労感を癒し、シンは顔を上向きに全身で浴びた。
しかし人工的な温かみは、シンの物寂しい心には余り心地良くなかった。
(あれから二年なのに・・俺は何も変わっていないな・・。)


タイルとお湯で奏でられる音は、戦場で遠く響く銃撃音のようでありシンをあの日に運ぼうとしていた。
しかし頭を振り、タオルで頭を拭き乾かしながら、町へヨウラン達との買出しで購入したパジャマに着替えた。
入り口に立ちこちらに視線を送っているレイに気が付かずベッドに覆いかぶさる。
二人なのに自然と孤独を選ぶシンに、レイは居た堪れなくなり気配を殺しシンに忍び寄った。
何故何時もは冷静であるのに、こんなにもシンに苛つくのか・・
急にシンは自分の身体に他人の体重を感じ困惑する。
飛び跳ねて起き上がろうとしたが、無駄な抵抗だった。
ベッドを軋ませながら、暗くて見えない相手を退かそうと努力を見せるが、その細い手首を掴まれ動きを封じられた。
一応人類の期待を背負って生まれたコ−ディネ−タ−だったので、その自尊心に触り
「止めろ・・誰なんだよ。こんな事を・・」
本気で嫌がるシンをあざ笑うように、その手を止めずあろう事か更に進めた。


睨むように瞳を細めていくが、見えない相手には通用せずシンは肩で息をした。
しかしその頬に掠めた金色の髪が、その正体に気付かせた。
「レイ・・ふざけるなよ。何でこんな真似・・」
「・・・・・」
「何とか言ってくれよ。あ・・。」
シンの見え隠れしていた首筋にレイはキスした。
温かな弾力性があるそれは、シンの寒かった心に直ぐに届いて一気に体温が上がる。
硬い性格のレイの何がそうさせているのかわからない。
でも言い知れぬスキンシップに困惑は隠せなかった。
「シン・・約束しろ。俺には隠し事はしないことを。」
腕に込められた力が強く、言い聞かすようにシンの耳元で囁く。
甘い美酒のような声が鼓膜を震わせ、シンは抵抗をやめて大人しく聞いていた。
その態度がレイには満足であったのか、シンの黒い髪に指を絡めて今度は口付けを交わした。
流石に不意をつかれたから、驚愕したままそれを受け入れ緊張の糸が切れてシンは疲れたように眠った。


傷付いた天使のように丸くなっているシンに、毛布をかけながらレイは
「お前は俺だけのものだ。心も汚したくなる肢体も・・。だから俺だけを受け入れろよ。シン・・。」
恋人同士なら睦言のような台詞だが、二人はそうではない。
しかも眠っている人間に言っても意味の無い、レイの告白。
それが悔しいのかレイはシンの傍を離れて、グラスに水を注ぎ乾いた喉を潤した。
レイは本気でシンへの想いを自覚している。
これは過ぎた感情だと・・
でも今のシンにそれを強要すれば、間違いなくシンが壊れる。
それを今はまだ時期尚早だと感じ、心を制御して接していた。
しかし限界は直ぐ其処まで迫っていた。
「お前が安心して眠れる世界って何処にあるんだろうな。まあ俺には無用の長物だが…」
寝息をたてているシンの前髪に冷たく凍えた指を絡ませ、その感触を楽しみながらそう漏らす。
伏せた瞳が現実を遮る事は無く、夢の世界でもシンを蝕んでいるとレイは感じていた。

「でもそう…それでいい。それこそが俺の望み…」