『追って来い!』

事件FILE07:水星(マ−キュリ− )の横笛―後編―






二人の見事な連携プレーで、いつのまにか、笛は怪盗Hの手に渡っていた。


桑原老人は言った。
「取引をする気はないかな?」
「何をです?」
般若の面の青年は、静かにだが、怪盗Hを守る手に気を抜かずに、そう言った。

「なぜ、お前さん方は焦っている? こんな危ない橋を渡らんでもいくらでも盗めるじゃろう。 お前さん方なら。」

二人が沈黙を守っていると老人は続けた。

「わしはこれでも、故事来歴には詳しいのでな。 少しはお前さんがたの役に立てる。 お前さん方の秘密を聞かせてもらえば、全面的に協力したいということじゃよ。 笛を貸そう。 この包囲網を突破するわけには参らぬじゃろう? どちらかが犠牲になるつもりか?」


既に、社、伊角、アキラが二人を遠巻きに取り囲んでいた。
怪盗Hは青年を見た。 青年は面に顔を隠したまま、頷いた。

「分かったよ。 この笛は今日は借りるぜ。 急いでんだ。 後で連絡する。 必ず。」

怪盗Hは、透き通る綺麗な声でそう言った。
老人は、捕まえようとする伊角、アキラ、社を押し留めた。
怪盗Hと青年は、笛を手に、優雅にその場を去っていった。

「何も盗られておらん。 わしはあの笛を怪盗Hに貸したのだ。」
老人が言った。

青年の背後に隠れて顔ははっきり見えないものの、 進藤と瓜二つの前髪を持った女の子が、制服姿で角を曲がって消えるのを、アキラは複雑 な思いで眺めた。
「双子か?」
月曜日には、必ず、学校で進藤に聞こう。 彼と怪盗Hとの関係を。 絶対に。


さて、こちらは、佐為神社。
桑原老人に借りを作って、手に入れた笛だ。 佐為は、アルコール消毒を怠りなかった。 それから笛を吹き、石版に音を響かせた。
共鳴するように文字が浮かびあがった。 二人はじっとそれを目に焼き付けた。

佐為は、文机に向かい、さらさらと老人宛に書簡をしたためた。
その間、ヒカルはもの思いにふけっていた。
アキラは俺の親のことを聞いたけれど。 俺は両親を知らない。 物心ついた時には、佐為と暮らしていた。
佐為と自分の関係を俺は知らない。 佐為は、親戚だと言っていたけれど。
ヒカルには戸籍はあった。 ちゃんと学齢になったら、小学校の入学案内も来た。
でも、俺は、考えたら佐為のことを何も知らない。


手紙を書き終え、宛名書きまで終えた佐為もまた物思いにふけっていた。


地球と太陽、この二つだけは、なぜか、分からない。 私には。
いや、分かる方法はあるけれど…。 佐為は愛おしそうにヒカルを見た。


まだ夜明けには間がある。 魅力的な女の子の姿をしたヒカルを目に焼き付けるように。
この子はもう、一人で、生きていくことができる年になったのだ。 私は役目を終えた…。


あの老人が、私の夢に出てきたのには、何か意味があるのだ。
もう、時間が無い。 ヒカルとの時間が無い。
石版を見つめながら最後の知力を絞り出そうとため息をついた。


佐為のため息にヒカルは訊ねた。
「佐為。 お前は俺を拾って育ててくれたのか?」
「飛んでもありません。 私はヒカルといるのは宿命なのです。 あなたといなくてはならないのです。」
「なぜ?」
「なぜって…それは…」


そして佐為は気づいた。
「ヒカルが、千年の呪いを受けたのは、私のせいなのです。 ヒカル。 すまない…。」
「どういう意味?」
「ヒカルは、ずっと、男の子として 暮らしていたけれど。 それは、私があなたを後見するために…きっと。 でも、この神社の呪い、禁忌は破られる運命にあったのです。 だから、私たちは、謎解きをして、あなたは呪いを打ち破り、生きなくてはならないのです。」


「佐為は、どうなんだ? 同じだろ。」
「私は…。 私は…ヒカル…呪いの一部なんです。」


佐為のその言葉にヒカルは、声を失った。
「佐為。 お前。 どこにも行かないよな。」


佐為は答えなかった。
「私には、これ以上の力が無い。 石版の穴は後二つ。 あの老人に知恵を借りるしかありません。」
「佐為がいなくなるんだったら、俺は、男・女のままでいい。」
「ヒカル。 どちらにしても、私の影はもう失われた…。」


翌日、速達で送られてきた封書を開き、桑原老人は、その鮮やかな筆跡の手紙を読んだ。
「ふむ。」
老人は、何か考え込んでいた。

月曜の午後、桑原老人は神社の奥座敷に座っていた。
佐為の傍に控えるヒカルは、少年の姿だった。

「虎次郎の千年の呪いか…。 わしは聞いたことがある。」
桑原老人はそう言った。

佐為は心を落ち着けるために、老人に返すつもりの竜笛を手に取り、吹いた。
「ええのう。」
老人の嬉しそうな声にヒカルはいぶかしげに聞いた。
「何が?」
「このような美形の者と間接キスをするのもなかなか乙な…。」
佐為は、思わずむせて、吹くのをやめ、すぐに桑原老人に笛を返した。
「口を漱いできます。」

桑原老人は嬉しそうに笛を手に取り、吹こうとした。
「やめろーっ。」
座禅で痛めた足にも関わらず、疾風のごとく現れたのは、なぜか緒方警部だった。
老人から笛をもぎ取り、自分で吹いた。
「間接キスは、俺のものだ。」
高らかに宣言した!

そこにいた三人は、緒方をぽかんと見つめた。


アキラも社も、月曜の朝早く登校した。
しかし、二人はその日、担任から衝撃的な事実を聞かされた。
「進藤ヒカル君は転校しました。」
教室に、どよめきがおきた。 突然越して来た魅力的な転校生が突然にまた転校して行ったのだ。

「じいちゃんのところに連絡が来ているかも知れん。」
社にくっついて、藤崎家に行くと、あかりが言った。

「おじいちゃんなら、出かけたわ。 手紙が来たのよ。 怪盗Hさんから。」

「どこに?」
「どこって、怪盗Hさんのとこでしょ?」
「手紙は?」
「おじいちゃんが、持っていったわ。」

そういいながら、はっと、あかりは顔を上げた。
それを見た社も急に緒方警部のあの地図を思い出した。
あかりと社が同時に言った。
「あそこよ。」 「あそこや。」