『追って来い!』

事件FILE06:冥王星( プルート )の聖典―後編―






さて、怪盗Hが、顔見知りの伊角刑事の出現に動揺している頃、 時間は良い子(高校生も良い子なのだ!)がお休みする9時だった。


藤崎邸に一人の訪問客が。
「あかりや。 いるかな。」
「あっ。 おじいちゃん。」
あかりの母方のおじいちゃん。 桑原老人が、上京してきたのだ。

「実はのう。 なぜか、最近良く夢を見てな。 いても立ってもいられんのでな。」
「私の夢?」
「いいや。 なかなかの好青年じゃよ。 からかい甲斐のありそうな奴じゃ。 メガネをして、なぜか、白っぽいスーツ姿でな。  ちょっと、占ってみたら、東の方角と出たので、早速に探そうと思ってな。」
桑原老人は、さっさと、いつも泊るお客用の部屋へ入っていった。


「おじいちゃん、お食事は?」
「ああ。 新幹線で、駅弁を食ったでな。 最近の駅弁は、カロリー表示もしっかりしていて、おいしいのだ。  お土産に一つ余計に買ってあるから。 賞味期限は明日の朝5時までだから、慌てることはないがね。」
「朝の五時?」
「そう。 夕方五時に作ったらしいが。」


祖父の荷物を整理しながら、あかりは言った。
「おじいちゃん。 いつも肌身はなさず持ってるんだ。」
手にしたのは、何の変哲もない古びた竜笛だった。
「わしの唯一の趣味じゃよ。 これを持ってないと 、落ち着かんしな。」

「そうだった。 清春に会ったか?」
「ううん。 まだ。 清ちゃんは、このとこ忙しくて。 電話はしたよ。 メールもね。」
そう言いながら、弁当の包みを開ける。
「あっ。 このお弁当。 すごく美味しい。」
「そうじゃろう。 うんうん。」
あかりは、お土産の駅弁に気を取られて、祖父に佐為神社の話をするのを忘れた。


伊角さんは、俺の顔を覚えてるかな? 多分、覚えてないな。 伊角さんて、思い込みの人だし…。
そうぶつぶつ呟き、三人プラス寝ているフクに対峙した怪盗H。
「怪盗Hさん。 マイディア。 なんて素敵な人なんだ。」
英国留学の成果を口にして、伊角さんは、案の定、自分が刑事なことも忘れているらしい。


気が確かなのは、僕だけだ。 僕は、怪盗Hなどには心を動かされない。
僕の心は、進藤ぉぉぉ〜。 君に捧げているんだから。
アキラはそう心の中で、言いつつ、怪盗Hとの距離を図る。


またもや、逆光に。 でも確か懐中電灯がある。
懐中電灯の光は、届かない 距離だった。 その上、電池が切れてすぐ暗くなった。
「なんや。頼りない…。」
伊角さんは、ただぼうっと、怪盗Hの方に引き寄せられて。
「駄目や。 俺のものや…。」

その時、フクが目を覚ました。
「うるさくて目が覚めた。」
そう言いつつ、聖典を手に取り、歩き出した。
皆、あっけに取られた。 知らなかったのだ。
フクは夢遊病の癖があるのだった。
まっすぐ怪盗Hとランデブー。
顔を突き合わせ、そのまま、そこにパタッと倒れて、いびきをかいて寝てしまった。

ようやく我に返り、皆慌てて、怪盗Hの元、いや、フクの元へ。
怪盗Hは、素早い。
一足早く、裾を何故か膝上まで、はしょって、あらわに、白いなよやかな足をさらして走りだした。
そのなまめかしさに、くらくらとなって立ち尽くす皆を巻いて 、何処となく…。

「進藤ぉぉぉ」と呪文を唱え、立ち直ったアキラが叫んだ。
「まだ、そんな遠くへ行く筈はない。 着物じゃうまく走れないから…」
アキラのその一言で、社と伊角はやっと、我に返った。
伊角刑事は、寝込んでいるフクを抱きかかえて、ベッドに戻し、捜索に加わった…。

怪盗Hは、皆の様子を確かめ、隠れていた暗闇から、さっとフクの部屋に舞い戻った。
「あいつら、あらぬ方角を探してるんだ。 俺は逆へ行くさ。」
持ってきた石版に、冥王星(プルート)の秘蹟が刻み付けられたのを確認する。
それから、本をそっと、 フクの手元に戻した。
「今回は 、返す手間も省けた…。」
それから、“あいつ”のために、かんざしを一本、聖典の上に残して、怪盗Hは、暗闇の中へと立ち去った。


「緒方さん。 どうしましたか?」
「芦原刑事は足が痛くないのか?」
「僕は若いですからね。 でもなんで、夜中に比叡詣なんですかねえ。」
そう言いつつ、やっと、お寺の本堂にたどり着いた。
お参りをしていると、木の上から、夢に見た顔が…。
「ぎゃっ。」
良く見ると、本当の猿がさっと、木を伝って消えた…。
「どうせなら、彼が見たかった…。」

「どうされました?」
「た、たこ」
猿の次にたこ? ここは山の中の筈…。
「何か?」
「いえ。 先ほど、猿を見たので。」
突然現れたお坊さん。 当たり前だが、坊主頭。


「ほう。 猿ですか。 去るものは追わず。  それより、私は、ここの僧の一柳です。 一流の僧です。  夜中の参詣とはたいしたものですな。 まさかお仕事は3Kでは?  参詣、尊敬ですね。 まあ。  今、退屈だったんですが、泊まっていかれるのでしょうな。」


一人で駄洒落を喋りつづける一柳老師に、そのまま、有無を言わさず、連れて行かれる二人だった…。
サルのほうがましだったかも…この試練を乗り切れば、俺は、悟りを開けるのか? 彼に相応しい男になれるのか?
のんきに駄洒落を楽しんでいる芦原刑事がうらやましい…!
緒方警部。  受難の日々は続くのだった。


「佐為っ。 戻ったよ。」
佐為に石版を渡しながら言う。
「俺。 こんな歩きにくい格好はもうやだぜ。 あぶねえとこだったぞ。 伊角さんに会っちまうしさ。」
「石版を持ち歩くのは危険ですよ。 秘蹟のオーラを感づかれます。 今回限りにしましょう。」
それでも、無事を祝って微笑みあう二人だった。

静かな夜更け。 平和な神社だった。
二人は知らなかった。
その頃、簪を巡って、三つ巴の争奪戦が、フクの枕元で繰り広げられていることなど