『追って来い!』

事件FILE04:木星( ジュピタ− )の棍棒 ―後編―






緒方警部は、怪盗Hに対して、アキラとは別の闘志を燃やしていた。 そして新たに参戦してきた社とも。


前回は、ネプチューンの薔薇のとげ…その幻覚作用で、とてつもない失敗をやってしまったが。
しかし、そのことに対しては、驚くほどお咎めなしだった。


それは、越智家が、安物だが、“サタンの沈黙”が、盗まれなかった(実は返されたことを知らない)のに安堵して、 ネプチューンの薔薇の被害届を出さなかったからだ。
「薔薇は季節が過ぎれば枯れて散る消耗品だ」とは、さすが、成金財閥の言いそうなこと。
それに、警備で揺らしたため、花びらが少し散ってしまっていた。 もう、金目の価値はないものになった、そういうことらしかった。


お咎めは受けなかったが、それよりも、緒方はあの幻覚で見た猿顔が、毎晩、夢に出てくることに悩まされていた。
「俺は、あんな猿顔のじいさんと面識は無いし、第一、断じて、相思相愛などということもないぞ。」 緒方警部は、うなった。
アキラ君はいやに、嬉しそうだったが。 どんな幻覚を見たのだろうか。 アキラは緒方には決して言わなかったが。
「アキラ君でも恋人… いや、 芦原のように片思いの相手がいるのかねえ。」 緒方は呟いた。


アキラが幻覚で、自分が進藤ヒカルにではなく、進藤ヒカルが自分に対して熱烈に思慕を寄せていると思い込んだことなどと、 誰が知るだろうか。 勿論うるさく話を聞かされた進藤ヒカル本人も知らなかった。


悩んでいる緒方に芦原刑事は言った。


「緒方警部。 知ってますか? 実は今、若い女性に人気の神社があるんですよ。 市川巡査が教えてくれたんです。  悩みを話せば、解決できると、評判の。 ああ。 僕もいってみようかなあ。」
「君は何か悩みがあったのかねえ?」
「あっ。 いやだなあ。 緒方警部。 僕が毛の三本足りない猿みたいなこと言って…」
芦原刑事は、のんきに笑ったが。 猿の一言にもう頭痛がする緒方警部だった。


芦原刑事は、その人気の神社のある場所を緒方警部に教えた。
そこに行ったら、案外あのオラウータンか、チンパンジーのような顔の謎が解けるかもしれない。 緒方は、何となくそう思った。 このジュピターのバットの件が終わったら、一度行ってみよう。 コッソリと…。


社家の別荘で、怪盗Hを待ち構えながら、緒方は、ポケットから、その地図が書いてある紙を引っ張り出した。
「こりゃ。 へえ。 東京のど真ん中にある神社なんだなあ。」
その呟きを、今はアキラの替りに、探偵気分の社は、たちまち、耳ざとくキャッチ。
「それは?」
「ああ。 何でも願いことをかなえてくれる神社だとか。 今人気だそうだよ。 若い女性の間で。」
社は、すばやくその場所を、頭に叩き込んだ。


その時…。 警官が急ぎ足に来た。
「怪盗Hです。」


緊張が走った。 緒方も社も芦原でさえ、ピリッとしている。
「今回は、絶対に、へまはできないぞ。」
「俺の大切なバットを取れるものならとってみろやで。」


社は、バットをしっかり握り締めた。


さて、ピザ店員に成りすましたアキラは、 手にはピザの箱、そして頭には妄想が…。
「進藤に思われすぎて、怪盗Hを進藤に重ねてしまうなんて。 なんてへまをしたんだ。  ああ。 でも、できればいつもあの薔薇の幻影を見ていたいよ。」
ピザを配達しながら、アキラはニヤニヤと思っていた。


「いやいや、駄目だ。 そんなことは。 怪盗Hをこの手に捕まえた時、進藤は皆の見てる前で、僕への愛を誓ってくれるんだ。 そして…晴れて僕たちは…。」
またも妄想はそちらへ、ピザの箱を思わず落としかける。
そして、妄想は、思わぬ方向へアキラを導いてしまった。
迷探偵アキラのさえた頭はどこへ行ってしまったのか…。


「それにしても、社は、一体何者か? 進藤に対して、あんなに親しそうにして。 許せない。 いや、そうじゃなくて。 今回の目的物はあのバットだって? あんな薄汚いバットで、進藤への僕の見せ場がなくなったら困る。 これはあのバットを僕が持って、怪盗Hを僕のほうへ引き寄せ、そして…」
あの薔薇の唇の感触が、甦ってきた。
「僕の純潔を進藤には、知ってもらわねば…」
アキラは、頭を振って、社家へのピザの配達を急いだのだった。


緒方警部は苦りきった顔で聞いた。
「アキラ君。 君は何をしたんだい? 君は、怪盗Hの片棒を担ぐつもりだったのかね?」
「そんな。 気がついたらこうなっていて…。」
「ほんまな。 塔矢アキラは、こないな馬鹿男やったんか。 張り合おうなどと思って転校までして損したわ。
せやけど、あいつに出会えたから、まあええか。 友だち言うのは、いいもんやで。 あいつ進藤ヒカル。 俺は気に入ったわ。」
アキラが持っていこうとしたバッドを取り返し、抱えながら、社はそう言った。
アキラは、社をにらみつけた。 今回は自分の非が明らかで。  でも、進藤は僕が先に目をつけたんだ。 心の中で、アキラはそう吠えた。


その時、ファストフード店の制服姿の美女が現れた。
闇にチラッと。
「彼女だ。 怪盗Hだ。」
すぐに気づいた、視力2.0のアキラが喚いた。
「また、もうだまされませんよ。」
と、芦原刑事。 しかし、その一瞬の気の緩みが、命取りに…。


「あっ。ほんまや。 ええ女やわ。 胸も大きいし。」
社がそう言った時には、その姿はもう闇に紛れて、声だけが残った。
「怪盗H参上。」
ソプラノが響いて消えた。
「声もええし。」
社がまた言った。


「何も盗らない?  そんなことは…。」
アキラも緒方も、社の抱えているバットを見た。
社が、急に気がついて言った。
「ちゃう、これは…。 これは俺のもう一本の練習用のバットや。 しかし、何で、すり替わっとるんや?」


アキラはまたまた落ち込んだ。
「僕は、バットを見分ける目がなくて…。 それが、てっきりジュピターかと、薄汚かったし…。」
「し、失礼や…。 俺の汗と涙の練習のしるしやで…。 それより、お前は運動音痴やな。  そんなで、よく、探偵できとるな。 探偵は頭より、肉体やで。 運動神経や。」


アキラは、悄然。 捜査妨害…。 度重なるミス…。
「ええか。 これからは俺は、絶対怪盗Hの捜査には、いつも加わるからな。」
それから、「桑原のじっちゃんにも言われてるんやし…。」
そう呟くように言うと、緒方やアキラに宣言。
「それやったら、今回のことは見逃したる。」


「君は盗まれても、やに落ち着いてるねえ。」と、緒方は改めて不審に思い、社に言った。
社は、平然と頷いた。
「それはやな。 今までのデータを見れば一目瞭然。 怪盗Hは、盗った物は必ず元に返しとるんや。  何のために盗むんか知らんけど、バットもきっと戻ってくる。 それだけは確かや。 ああ、でもすげえべっぴんやった。」


「君は顔をはっきり見たのか?」 アキラは社に詰め寄った。