『追って来い!』


事件FILE01:金星( ヴィ−ナス )の琥珀―後編―






「ところで、今夜って、いつからいつまでなんでしょうね。」
のんびりと、芦原さんが言う。
また、なぜか、それに呼応するように、緒方警部までが、
「そうだなあ。 夕日が落ちたらもう今夜じゃないかな。 今はもう、今夜だよ。 一応、3時頃まではな。 警備はしっかりしないと。」
なんて、話している。 アキラは、やれやれと思った。


警備本部にあてられた一室で、もう一度、警備の基本を確認する。
「間もなく10時です。」
警備員が交代する。
ヴィーナスの入っているガラスケースには、緒方警部が貼りつくのだし、美術館の出入り口にも、警官がしっかり配置されているし。
僕はどこにいようかな。 アキラは、庭の方へ出た。


その時、がしゃんという音が。 窓ガラスの割れる音。 大木の枝に黒尽くめのほっそりとした姿が。 枝から、塀の外へ飛び降りる。 アキラは追いかけた。 皆、美術館の中に気を取られていたから。 気がついたら追いかけているのはアキラ一人。


人影の薄い路地で、相手は立ち止まった。 アキラも思わず、立ち止まる。
「お前、案外足が速いな。」


そう言う相手をかなり間近に見て、アキラはすばやく頭を働かす。 ホームズばりの観察眼だ。
ほっそりしている。 声は澄んだソプラノだ。 そして、そして、今日は、巫女姿じゃない。ぴたっとした黒尽くめのその姿は、月の光に、完璧なシルエットを浮き出していた。 胸のふくらみは、D、いやEカップか? 目算で90か? いや、もしかして、詰め物では?
しかし、間違いなく女だな。


「お前、今、ものすごく失礼なこと考えているだろう。 いやらしい奴。」
相手に言われ、思わず狼狽するアキラ。
「いや、違う。 僕の優れた観察眼のなせる技で…。」


弁解に気を取られたアキラを尻目に、影は、アキラの目の前から、さっと走り去った。
「アキラって言ったよな。 お前は、気に入ってるんだ。 さあ、俺を捕まえてみろよ。」
そう、言葉をその場に残して。


茫然とするアキラの背後にどやどやと足音が。
「逃げられました。」
アキラはそう唇を噛んだ。
何か、感じる。 僕に挑戦状を叩きつけたきれいなソプラノ。 胸のふくらみ。 全く違うけれど。 何だろう。


「しかし、今回は何も盗らずに逃げたとはな。 とにかく美術館に戻ろう。」
緒方警部がアキラを促す。


「やれやれですね。」
芦原さんはのんびり言った。
「それどころでは、ないです。」と、美術館の館長。
「このペンダントは、偽物です。 ヴィーナスではない。」
みんなが、色めき立った。
「いつ、すりかえたんだ?」


アキラは館長に聞いた。
「そのヴィーナスの由来を知りたいんですが…。」


「それは、最近、偶然、手に入れたのです。 別名双子の琥珀、ヴィーナスと呼ばれるものと、あと、ひとつ、 行方の知れないもう一つがあるといわれています。 但しそれは、あくまで、伝説。もう一方を見た人はいない。 そして、その伝説では、その二つをあわせると、何かが起こると言われている。 何が起こるのか、すべて、あくまで、言い伝えですけれど。 ヴィーナスは、その昔、千年以上も前に、地中海からシルクロードを通って、日本に伝わったとか。 正倉院に、その言い伝えのもう一つのがあるとも言われたらしいですが、なかった…。」


アキラは、緒方警部にパトカーで、送ってもらいながら考え込んでいた。
もしかしたら、そのヴィーナスの秘密を知っているのじゃないだろうか。あの彼女は…。


「どうしたんだ。 アキラ君?」
「彼女が、摩り替えたんでしょうか? もしかして…。」
「彼女は、知っていた。 あれが偽物だと。 そういうのか? アキラ君。」


緒方警部は、ちょっと、意外そうな面持ちで、しかし真剣に考え始めた。