泡沫の白い鳥〜第五話『混迷する未来』



アキラとの微妙な関係・・
あかりとの優しい関係・・
貪欲でない俺がしがみ付く二人に、俺は何も返せずにいた。
そしてその罰を俺自身が受ける事となった。それは・・


アキラに激しく抱かれた数日後の朝、酷く体調が悪かった。
脂汗が出て息苦しくなり、這う様にして駆け込んだ洗面所で
「うっ・・!くっ・・!」
白色の流しに広がる赤・・そう吐血して、咽込んでいた。
焼けるように喉が熱く、その日予定していた対局を欠席した。
タクシ−の中で蹲り行きつけの病院を訪ねた。
そこで問診をされ、医者に診て貰ったが検査をしなければ分からないと後手に回され、一日中診察された。
そして漸く原因を突き止めた。


「進藤さん。非常に申し上げにくいのですが・・」
言葉をかなり濁しながら医者は話し始めた。
側の看護婦に席を外して欲しいとまでの事。
それは・・
「末期の癌です。かなり入り組んだ場所の腫瘍でして手術でも、切除は困難を極めます。下手をすればその時命を落とします。」
「でも俺は健康診断でも異常はなかった。それがどうして・・」
「体外的にはです。でも体内ではそうではなかったんです。更に言うのでしたら余命2・3年です。」
健康管理の杜撰は見当たらない。
規則正しい生活をしている自分が・・?
(嘘だ・・こんなの・・絶対認めたくない・・)
震えるヒカルを医者は気遣い、痛みを沈静する投薬をカルテに書き記した。
しかし治療の為でないのが、ヒカルの心を追い詰める。
そして退室した病室の廊下で意外な人物と出会った。


(あ・・かり?どうしてこんな時間に此処に?)
緊急患者が受け付けられる時間帯に、病院をうろついているあかり。
その格好はワンピ−スで腰元がゆったりとしていた。
その彼女がじっと見詰める場所は・・
(産婦人科?一体どう言う事だ?)
そしてその中に彼女は入り、数分後幸せそうに出てきた。
あかりにゆっくり近付いたヒカルは彼女の呟きを聞く。
「何だか変な気分。私の中に新しい生命(いのち)が宿ったんだから。ヒカル驚くかな?私達の子どもだよって言ったら・・」
お腹付近を摩りながらその余韻を感じていた。
「あ・・かり。それは本当なのか?」
つい彼女の独り言に話しかけた。
いきなりのヒカルの出現で驚いたあかりは・・
「そうらしいの。ほら3ヶ月前デ−トした時、したあと生理が来なくってそれから今日つわりがあって・・」
真っ赤になりながら説明するあかり。
でもヒカル自身は手放しで喜べなかった。


自分の命を蝕む病気と、あかりの妊娠。
不幸と幸せが一度にヒカルを飲み込む。
(俺はどうしたら良いんだ。教えてくれ・・アキラ・・)


その頼みの綱のアキラも大変な事態になっていた。
「大林さんのご家族がお見えになっていますわ。アキラさん。」
塔矢家の玄関に大林家の家族がやって来た。
厳格そうな大林父と優しそうな母に伴われ、早苗は妊婦スタイルでやって来た。
(僕に対する当て付けか?交際すら断った僕に・・)
如何にも箱入り娘な彼女に嫌気が増した。
でもアキラとて責任を取るべき立場だったので、非難は出来ない。
「早苗さん。どういうつもりですか?僕は・・」
「君かね。私の娘を孕ませのん気に挨拶も出来んのは。お陰でこっちが出向いたじゃないかね。」
そう言ってアキラの二の句を継がせなくする。
思った以上に強面な父親らしく、例えるなら高段者の貫禄に近い。
それを見兼ねたアキラの母・・明子は
「玄関もなんですのでお上がりになって下さい。」
客間に案内して、緩和を促す。
アキラにとって運が悪く、韓国から帰国した両親と鉢合わせた大林一家。
そして緑茶を啜りながら
「アキラ・・本当に彼女との子を・・」
不埒な事を仕出かした息子を静かにアキラの父行洋は見詰めた。
その痛い視線でアキラは思った以上に打ちのめされた。
(尊敬している父の前でのこの醜態はなんだ。堪えられない・・)


「はい・・過ちで彼女と関係しました。ですが恨まれるの覚悟で申し上げます。僕は責任を取っての結婚を考えていません。」
きっぱりと言い切り双方の反応を待った。
「でも認知はしているんでしょう。塔矢さん。でしたらこの子を助けてやって下さい。」
そして彼女の母親が話す。
その言葉は母としての子を愛しむ感情からで、アキラのした事の糾弾ではなかった。
それがアキラを酷く自己嫌悪に陥れた。
「アキラさんでしたね。娘は貴方と結婚をしたくて此処に来たのでは無いのです。早苗はこう見えて婚約者が外国に居るんです。」
「それは・・どう言う意味ですか?大林さん。」
明子が疑問符を投げかける。
すると・・

「アキラさん。私は外国へ来年彼を追っていこうと思っています。ですが子どもをどうしようか考えあぐねています。過ちでもこの子には罪は無いでしょう?」
そして母親がホロ−する。
「早苗は看護婦です。生命の大切さを理解してこの職業を選んだ娘です。ですから中絶を考えられないと・・」
そして父親は娘の頭を撫でながら・・
「こうして話したかったのは、産まれた子どもを君が引き取る気はないかと言うことだ。勿論世間には公表しない。娘の名誉の為・・」

本当なら殴って罵っても文句が言えないアキラを逆に優しく見詰めた。
娘に甘い父親だけでなく、図らずとも憎しみの種を孫に残さないための、祖父として精一杯の愛情も含まれていた。
その態度に行洋は頭を垂れ土下座した。
「アキラが本当に申し訳ないことをしました。親として同じ男として謝ります。済みませんでした。」
繰り返し繰り返し、大林家の者に頭を下げた。
その男気に大林父は感心し、逆に自分が経営する居酒屋に案内した。
そして外出して両家で食事した後・・

互いの胸のつっかえ棒は取れて、何となく和やかになった。
そんな不思議な感覚に襲われていたアキラに
「アキラさん。本当の好きな子にこの子を抱いてもらえる事を母親として祈っています。私と似ていた愛する子に宜しくね。」
勿体無い言葉をアキラに与え、彼女は誕生したら連絡すると耳打ちで話した。
その姿は凛としていて、アキラを勇気付ける。
(進藤が居なければ本気で惚れていたかもしれないなぁ・・)
思った以上に好印象の彼女にアキラはそう心で呟いた。


「でも・・その相手の難易度が異常に高いんだよ・・」


眠っていても確実に自分が弱っている事に気付く。
気持ちの上でも色々な事が頭をめぐり、解消できない。
わが身に起きた不幸を嘆き、震えていた時・・
携帯の着信メロディ−が響いた。
机上の上にある携帯を何とかとったヒカルは・・
「はい・・進藤です。どちら様ですか?」
そして直ぐに聞こえた声はアキラだった。
『進藤・・僕のところは決着が着いた。僕は彼女との子どもを一人で育てる。』
いきなり掛けて来て用件を言う。
しかしヒカルはそれどころではなかった。
「そうか・・良かったな。でも俺になんでいちいちそんな報告するんだ?」
突き放しこの前の二の舞に持ち込む。
その冷たい言い方でアキラは
『僕を許せないかい?でも君を放さないと僕は決めたんだ。』
「放すも何も・・俺はお前の者じゃない。勘違いするな。」
何も考えたくないと電話を切ろうとしたが・・
『なら・・僕が君を何故愛したのかを話すよ。』
ヒカル自身がずっと聞きたかった事を持ち込んだ。


『僕は正直君が嫌いだった。僕をかき乱す不確定要素の君が・・』
そして言葉を一端切って・・
『でも星の数ほど沢山いる者の中で、どうして君にこんなにも囚われているのか・・僕は苦悩した。』
アキラの声に真剣さが増しヒカルは聞き続けた。
『そして君が引退を考えた時確信に変わった。僕の遠回りは君と歩く為だと・・』


ヒカルの瞳から涙が静かに伝う。
紳士的な考えで行き着いたアキラの思い。
ヒカルを追い詰める為でも、性欲の捌け口でも無く・・ただ・・【愛】の為に・・
そんな純粋な心がヒカルを満たしてゆく。
『そして僕はそれを君に押し付けるつもりは無かった。あの日まで・・』
病室で触れ合った本当の気持ち・・
ヒカルの零れたその雛鳥の産声に近い恋が、アキラの温めていた愛の卵を割った。
だから本当は・・
(アキラ・・ありがとう・・こんな俺を愛してくれて・・)
喉元まで出掛かった言葉が、しかしアキラに向けられる事は無かった。
「分かった。でも俺を本気で思っているのなら・・好敵手に戻ってくれ・・。それが俺達のためだから。」


痛いくらい互いは思っている事が分かった。
でも流されたら・・ヒカルはアキラを永遠に失う。
それが分かっていて彼の懐に入ったらいけない。
(お前を置いて死ぬ事が分かっている俺を・・お前は堪えられるか?)
その悲鳴は受話器越しでは伝わらなかった。
それに・・あかりの中に生まれた魂の事もある。
両親の愛情を受けて育った自分が、切り捨てて考えられる訳が無い。
「塔矢・・俺・・彼女と結婚を考えている。それは父親としてだ。」
『進藤?何を言って・・』
「俺も子どもが出来るんだ。信じられないけど・・。でも俺はちゃんと育ててあげたい。」
そして困惑するアキラに一つだけ素直な心を見せる。
「俺が女だったら・・良かったな。お前とこんなにも傷つけあう事も無かったのに・・」


『進藤・・僕はそんな言い訳が欲しい訳じゃない。もう一度会って話がしたい。』
縋るようにアキラは言った。
でもヒカルは受け入れなかった。
別れた二つの道がはっきりとしたからだった。
ヒカルはあかりと・・そしてアキラはその子どもと・・
しかし心の何所かに置き忘れた何かがある。
それをアキラの方が分かっていてヒカルは見逃す。


静かに切られた携帯を握り締めたアキラは・・
「進藤・・僕達の心はそんなにも脆いのか?僕は認めない。この愛に殉じる覚悟を決めたよ。」
不安がるヒカルを自分が支えればいい。
自分次第で何とかなると楽観的に考えていた。
夫婦は無理でも彼女の入る隙も無い位ヒカルを侵食したい。
そしてヒカルの心を自分で一杯にする方法を考える。
空回りだと知りつつも・・
それがヒカルを決定的に追い詰めるとも知らずに・・