千万の星くず〜第七話『暴かれた試練』



どうして此処にいるのか・・
そして何所に向かうのか・・
その答えが自分にあった。


・・ヒカル・・目覚めなさい。

進藤・・ヒカル・・目覚めなさい。

脳裏に囁きかける声・・
何時も精神力の使い過ぎで、地上の人間と同じ睡眠で回復を促していたヒカル。
しかも過酷な現実世界のため、明人といる事すらしんどくなり始めていた。
『誰・・俺を呼ぶのは・・』
そして瞼を開き天を見た。
するとそこには見目麗しい女性が立っていた。
片手には黄金の弓矢が、そして金髪で神話の世界の住民が其処にいた。


進藤ヒカル・・貴方は一体何をしているんです・・

『えっ・・。ちゃんと明人を見守っているんだけど・・』
多分自分より崇高な相手だったが、元々敬語が苦手なヒカルは普通に話した。
失礼とは思ったが上半身が起きないでいた。
『やばい・・どうしたんだ。俺・・』
鉛が自分の肉体を包むかのような気だるさがヒカルを苛む。

そうなってしまったのは・・貴方の最終段階をあらわしています。

『え・・どう言う意味ですか?そして・・』

私は愛と狩猟の女神アルテミス。貴方をずっと監視していました。

そして欠片を手に取り、それを握り潰した。
その握力に感心する間も与えて貰えず・・

貴方の転生体は明人が産みます。

『何を・・言って・・』

貴方は間違った恋愛を見守っていた。本当は明人が選ぶべきものは既に会合したと言うのに・・


何時そんな相手が明人に現れた。
(四六時中側にいたわけで無かったので、その間の話か・・それとも)
人付き合いが限られている明人。
学校も囲碁の為に出席が悪く、通信教育で学力を補っている。
自分の過去の知り合いに精通しているとしても、年齢がかなり開きがある。
一体誰が明人を光輝と隔てるのか・・


『俺はだったら何て・・』

無理もありません。彼等には罪は無い。でも別れなければ待っている生命が消滅します。

幸せな関係。
穏やかな恋人達。
それをどうやって引き裂く事が出来よう。
光輝の事を話す嬉しそうな表情。
数少ない理解者を得た喜び。
尊い大切な感情(こころ)・・
嘗てアキラにヒカル自身が求めた関係を、積み木のようにゆっくりと築いている幼い恋。
理屈抜きで応援していた。
時には友人として・・また父として・・


『俺には無理です。例え神からの命令でも・・』
ヒカルは涙を零した。
どんな結果でも誰しも幸せな形が訪れない未来に・・
それをアルテミスは痛感していた。
沢山の者を支配する立場でありながら、一人の魂の悲しみすら取り除けない。
何とも矛盾な存在なんだろうと。
だがヒカルに残された時間は僅かだった。


【光輝・・ヒカルに会いたい】
黒いマントをはためかせてアキラはそう言った。
でも光輝は目覚まし時計を押しながら
「今日は無理です。ある高段者の研究会に誘われましたから・・」
部屋のクロ−ゼットを開けて、服と靴下を取り出して着替え始めた。
そして汗ばんだ寝巻きを、藤崎家の洗濯機側に置いて
「性がないですね。僕も明人に会いたいからいいですよ。」
冷蔵庫の牛乳をグラスに注ぎながら、光輝は妥協した。
【僕の思い過ごしなら良いのだが、ヒカルの気配が薄い・・】


光輝が招かれた研究会は緒方研究会。
師匠の塔矢行洋はほぼ隠居状態で、その抱えている門下を指導していける者が必要だった。
それならもう直ぐ5冠になろうとする緒方が適任だろうと、行洋自ら頼んだ。
そして週一回行われるそれに、光輝は誘われた。
必然的に付いて行く事となるアキラ。
でも懐かしい緒方と再会できる事を悪い気はしていなかった。
【緒方さん。ごめんなさい・・】
思った以上に皺が刻まれた顔。
そしてお洒落に拘っていた身形を、少し無頓着になっていると感じさせる雰囲気。
生前アキラは緒方に憧れていた。


若武者の威厳。
派手さの中にある男らしさ。
何より恋愛面での百戦錬磨に、ヒカル一筋の自分には無いリ−ドする強さを感じていた。
【その緒方さんを僕は超えられないまま、黙って消えたんだよね。】
色あせない手順にアキラの棋士としての興奮が沸き起こる。
光輝の腕も良い筋だったが、緒方に3目半の敗北を与えられた。
「光輝君。君は此処を焦りすぎだった。これはヨセの方がきくだろう?」
「そうですね。もっと精進します。」
ふと緒方は笑みを零し、光輝の頭を撫でた。
その視線の先に緒方はもう一人の存在を知った。


「あ・・アキラ君?」
ヒカル同様感覚で見抜いた。
綺麗な表情の青年。
類まれな美貌を持ちながら、美人薄命と言わんばかりに掻き消された存在。
緒方のもう一人の執着者。
それが宙に浮いては光輝を見詰めている。
忘れたくとも忘れられない。
緒方は村上5段に後を任せて、アキラを連れ出した。


「アキラ君・・君も霊となって彷徨っているのか?」
話す時決まって口にする煙草をしない。
その違和感をアキラは、緒方の自分達に対する悲しみからだと悟った。
【はい・・そうです。緒方さんは活躍しておられるようで・・】
「でも倒すべき存在無しの哀れな勲章だ。君や進藤がいたらタイトルを取っていたかどうか・・」
【謙遜し過ぎです。僕はいつか緒方さんは父すら超える存在だと思っていたんですよ。】
「それはお世辞だ。アキラ君。分かってはいるんだ。俺の棋譜には何時までもしがらみがある。」
師匠や環境が自分を育てた。
それは幸運と共に不運でもあった。
常に背負うべき看板が緒方を苛む。
はみ出せない才能を憂いては、若い棋士に刺激される。
特に目の前の塔矢アキラには・・


「俺はお前達の世代に生まれたかった。アキラ君や進藤・・そしてその他の猛者達。それだけでは無い。俺は・・」
眼鏡越しで涙を零してアキラを見た。
棺桶で見た体温を感じさせない表情ではなく、まだヒカルを意識する前の表情に近いアキラ。
それを滲む瞳で
「俺はバカかも知れないが、進藤を愛して・・君の一番になりたかった。」
アキラに吐き出された緒方の気持ち。
ヒカルを自分が求め、アキラに自分を求めて貰いたいと言う我が儘。
それを聞いてアキラは
【無理ですよ。僕の一番はヒカルです。彼さえいれば全てが満たされる。僕も病んでいるんです。】
ヒカルはまだ自分に明かしていない秘密がある。
それを打ち明けてくれるまでは、彼が本当に自分を受け入れた事にはならない。
でも焦って聞こうとは思っていない。
何と言ってもヒカル本人からこれは切り出す事だったから・・


【緒方さん。僕は尊敬や憧れ・・畏怖・・全ての感情を貴方に一番最初に教えられました。貴方がいたから僕が此処まで成長できたし、もう一人の 父親だったんです。多分・・】
「アキラ君・・」
【それに本当なら進藤か僕に恨み言を吐いても文句は言われない筈です。進藤を愛しているなら僕に嫉妬を。僕の一番になら進藤を罵る事も・・】
「出来るか!そんな事。頼まれたって出来やしない。」
【だから優し過ぎるんです。僕はヒカルの環境を恨んだ。僕を蔑ろにするヒカルを苛んだ。緒方さんの様に全てを受け止められなかった。】
「そうやって自分を追い詰めたのか?それは君の所為ではない。近過ぎて苦しんだだけだったんだろう?」
アキラのした罪を緒方は軽くしてくれた。
こんなにも相談できる相手が側にいたのに、それに気付かなかったアキラは後悔した。
「アキラ君。恋とは盲目とはよく言う。でも間違えたらいけないのは、まずは自分を大切にしてやる事だ。相手を大切に出来るヒントは其処に必ずあるのだから・・」


アキラと緒方が話し込んでいると、光輝が青ざめた顔でアキラを呼んだ。
何か起きたのかと二人は光輝を見詰めたら
「明人が・・意識不明で・・病院に・・」
文節がまちまちだが、緊急事態に間違いなかった。
健康優良児の明人がどうしてそうなるのか分からない3人。
たまたま棋院で慌しくしている女性に村上が事情を聞いた。
すると明人が棋院へ向かう途中、バス内で倒れたと・・
師匠の孫が昏睡状態だと聞いて、村上もまた平常心を欠いて光輝に錯乱しながら話した。


「とにかく俺の車に二人とも乗りなさい。」
「えっ・・此処には僕一人ですが・・?」
【光輝・・どうやら緒方さんには僕が見えるらしい。霊感があるのか分からないが・・】
一刻を争う時なのでその事の意味を追求する暇はなかった。
赤い乗用車が棋院を尻目に走り出した。


「無事でいてくれ・・明人・・」
「光輝君は明人君とは仲が良いのか?」
「はい・・そうですが。何か?」
「いや・・何でもない。」
緒方は親子二代に渡っての恋愛に感付いた。
友情かも知れないと思ったが、それはこの親を見ればありえないと言う理屈だった。
きっと死ぬまで互いを呼び続けた彼らを・・
中に入り込めないともう緒方は納得した。
でも少々の意地悪は許されるだろう。
「明人君とはエッチしたのか?」
「えっ・・な・・なな何を・・。」
急に緒方が刺激的な発言をしたので、光輝は一気にゆでダコだった。
側で聞いていたアキラはそれが自分に対する嫌味だと思った。
(【どうせ・・僕達は貴方を仲間外れにしましたよ。でも光輝は明人とそんな関係になって欲しいとは思っていません】)
と言いたげだったが光輝の初恋が明人なのが分かっていてそれは言えなかった。


「したら気持ちいいぞ。多分・・」
【息子に変な教育しないで下さい!!】
黙って聞いていられずアキラは思いっきり叫んでしまった。
違う意味で真っ赤になる正真正銘の親子に緒方は爆笑した。


そして着いた病院に3人は足早に明人の病室に駆け込んだ。
だが其処には激しい悲嘆と微かな拒絶が待っていた。