-感情が時に力を与える時がある・・理性よりも・・
腐敗臭が漂い、荒廃する町並み。
整備以前に日毎環境が悪化する其処が・・国の本質。
瓦が割れて落下したものが、青年の足を傷付けた。
正直かなり痛いが、意外にもそれを人が通らない脇に固めて置き直していた。
そして白い布を足に巻いた時・・
(かなり私は酷いな。こんな綺麗な洗い立ての物をちらつかせ、彼等との違いを明確にしてしまうんだから・・)
薄汚れた着衣に、ボロ雑巾の様な継ぎ接ぎだらけの服。
中にはそれすら無く、全裸で蹲っている者もいた。
凍えるような寂れた町に立ち、憂いているのは伊角 信輔であった。
貴族の中でも下級に位置する出身で、華やかさから少し隔離された場所に何時も存在していた。
公達が特に伊角家の者におべっかを使わず、自分より地位が上の者に官位を上げる為接近する。
だから伊角は別段貴族とは名ばかりの者としての居場所しかなかった。
冷遇されて居たと簡潔にいえばそうであった。
同じ人間を身分で括る認識を最も嫌悪し、こうやって自分を追い詰める場所へと赴く。
そんな伊角に一人の少女がよろよろとした、覚束無い足取りで近付く。
「貴族様・・これ・・」
そう言って手の平に薬草を乗せて見せてくる。
どれもが枯れる前の乾燥された物であり、調合しなくても巻くだけで効果が得られる代物だった。
ゆっくり少女の目線に合わせるため、中腰でそれを受け取った。
「ありがとう・・本当に。でも本当に私が貰って良いのかい?」
「うん・・だって貴族様痛そうなんだもの。だから・・」
(こんな小さな者にも、穏やかな心が通っているのに・・何故お上は・・)
そして少女を抱き寄せ感謝と罪悪感で苛まれた。
それから自分が住まう伊角邸へ帰っていった。
侘しい佇まいだが、趣味が良い気品ある物品で整えられた奥ゆかしい場所。
そこで伊角は横笛を嗜んでいたため、今日の切なさを音に乗せ屋敷の人を労う。
すると別の所から違う横笛が聞こえる。
爽快なメロディ−が伊角の音を励ますように・・
鯉が泳ぐ池に姿を映す満月。
そこに一緒に自分を投影させているのは顔なじみの者だった。
「和谷殿・・どうして我が下級貴族の屋敷に?」
そう言うなり横笛から唇を離し・・
「そう言う言い方は気に食わない。俺と伊角殿の間柄はそんな身分程度で区切られるのか?」
「いいや・・済まない。余りに突然の訪問だったから・・」
「俺は不意を付くのが趣味なんだって!それより・・何かあったのか?」
言いながらゆっくりと伊角の側へ寄ってくる。
そして覗き込む和谷に伊角は今日のことを話した。
すると・・
「そうか・・また町へ。何だかその少女に嫉妬したいような・・」
「えっ・・どうしてだ?」
「だって今日は俺の事より彼女の事で頭が一杯だろう?くやしいよ・・」
らしくない和谷の駄々の捏ね方に伊角は笑う。
多く存在する貴族の子息の中では、気取らない和谷。
自分なりの正義を翳し上流でも噛み付き、下級的存在でも気が合えば粗雑に接しない。
その上伊角と同じく音楽に長けていて、和琴を本来得意としていた。
趣味も合い、偏見も無い和谷は正に伊角にとっては掛け替えの無い存在。
だから彼に愛情がある。
でもそれを語るのはもう少し先と、今はこう言った時間を楽しんでいた。
「伊角殿。これは聞きかじった話なんだけど、近衛の奴大変な立場に追い遣られているんだ。」
「近衛殿が・・?それは一体・・」
近衛とは2人の弟分的立場の者で、よく3人で娯楽を満喫している。
いわゆる親しい関係にある者だ。
「何でも国の自衛をどうのこうのって親父が話していた。全く息子に丸聞こえで恥ずかしい限りだった。」
「そうか・・でも近衛殿は本来貴族の一存で動かせる者じゃない。まさか・・」
「お上が絡んでいるよ多分。あいつの事情お構い無しに・・」
「何だか頂けない気分だな。私達も陰ながら支えてやらなければ・・」
そうして強い意志を持った視線を互いに絡ませる。
しかし直ぐに近衛と話題から反れて、春の夜に横笛の音色を響かせていた。
貴重な2人きりの時間を愛しむように・・
夜が明けて和谷は自分の屋敷に引き揚げた。
それを見送る伊角は真っ赤になりながら頬を摩った。
別れを惜しむ和谷に接近され頬にキスされたのだった。
そして照れるように駆けていった。
(本当に不意を付くのが上手いな。でも今度は・・私からお前を・・)
彼の関心が自分にあると確信したからこその決意。
それが叶うのは近衛に両方が深入りした時に果たされる事となる。