◇「千万の恋歌」壱ノ巻〜桜の舞い落ちる刹那〜◇








−もう一度あの日に戻れたら良いのになぁ・・お前と・・





平安京-遷都延暦13年桓武天皇により、平城京から都を移動させ栄華を極める現京都。



まだ武力が優先されていた為か、その労りの無い世界に溢れる邪悪な思念と物の怪。



廃墟に近い住民達の環境と、疫病が横行する大半の場所。



時の天皇はそれに対し、貿易関係の中国の知恵を借りて都に巨大な魔法陣を完成させる。





それはいわば結界を碁盤の目のように町を改装した前都同様、この都は当初から実行されていた。



そしてその傍ら祈祷師や陰陽に長けた人材発掘に勤しんでいた。



それには年齢など関係なく、しかし邪念無き者を求められていた。



寝首を掻かれたくない自己防衛を果たす為の、一種の計略だとも言える。



政治を速やかに動かすには、出世欲で動く輩が一番厄介だったからだ。





そしてその条件を満たし白羽の矢が立ったのが、齢15才の少年・・加茂 明だった。





札使いとしても名高い彼は、悪魔祓いを生業として生を受けた稀有な者だった。



数少ない陰陽家系の者だけでなく、その誠実さも買われての事だと見て取れる。



その彼が都の朝廷が支配する内裏に出頭を命じられた。







聖水で清めて朝の禊を済ませる。



そして量の少ない朝食をしながら、側で自分の世話をしている式神に屋敷の警護を任せた。



徒歩で歩きながら庶民の生活を眺めるように足を運ぶ。



その悪臭に本当は吐き気を覚えるのだが、それは間違っていると嫌な顔をせず先へ急ぐ。





立派に聳える門扉が明を迎えた。



しかし門一枚隔てただけで世界が違って見える全てが、明の心に不快感を与える。



庭園では若い公達が蹴鞠をしていて、優雅な時間を過ごしていた。



それを御簾を隔てた先で女人達が楽しそうに見物していた。



(此処の者達は城下での事を知っての道楽か?)



と明は違いすぎる危機感の無さに軽蔑を抱いた。



しかし自分も貴族側の陰陽師なので、彼らの認識を真っ向から否定できる立場ではない。



それゆえに思考を止めた。





何もかもから隔離され温室にいる人間に、雑草の逞しさを要求しても意味が無い。



裕福に生きる事を然も当然とし、自分は選ばれた人間と勘違いしているそんな堕落者に・・



必死で生きている者が不幸である事実が、明に世の無情を伝える。



そして浅沓(あさぐつ)の音をさせながら、彼は目的の内裏へ急いでいたその時・・





「佐為・・どうして俺達まで呼ばれたんだろう?まさか!」



「ええ。きっと火桶を光が割った事がばれたんでは無いでしょうか?」



切馬道(きりめどう)の長橋(ながはし)の上で、2人と思われる密やかな話が展開される。



普段なら気にもならない上、自分より身分が上の階級の者の密談の可能性も否めない。



居合わせたらそれだけで、実家の名誉を左右するかもしれないその話。



しかし何故か立ち止まって聞き耳を立てていた。





酷く風が騒いでいるそこに、突如桜吹雪が起こる。



それにビックリしたように、青年の方が衣擦れの音をさせた。



扱けそうになったのを何とかふんばり、立ち直した。



そして棚引く髪を直しながら少年の方に向き合う。



その者は優美であり、紫の艶やかな髪と上品な立ち振る舞い。



上流の者しか着衣することが許されない紫を羽織っている事から





(貴族か、摂関に近い人物なんだろう。貴殿は・・)



そしてその傍らでお供しているように見える少年が一人。



その外見は色素が薄い前髪と、青を基調とした直衣(のうし)であった。



結論として貴族に近いが身分を判断し辛い者と明は判断した。





しかもその少年は、この場が権力者の陰謀で犇めき合っている不安定な場所だと、余り気にしていない素振り。



佐為と呼ばれた者と自然に雑談を運んでいた。



「でもあれは仕方がなかったんだ。猫が敷居を越えて侵入したから逃がそうと思って・・」



「そうでしたね。確かに逆に女御達からお褒めの言葉を頂いていましたからね。」



「だよな。だったらこれは純粋にどう言う意味なんだろう?」



「私に聞かないで下さいな。個人的に謁見に挑むのなら目星は付くのですが・・貴方とでしょう。」



「やっぱりお小言かもしれない。逃げようかな・・」



本気で逃避しようとした少年に、青年は扇子で額を小突く。





そして半泣き状態の少年は庭園に視野を広げた。



その少年につられる様に青年も外を見た。



そして2人はやっと自分達の遣り取りを見ている明に気付いた。



不思議そうに瞳を丸くする両名。



外に立ち尽くしている明はどうしたものかと慌てていた。



しかし優しく微笑む青年佐為と、明るく視線を絡ませる光。



身構えていたのに意外な2人の反応は、明をもの恥ずかしい気分にした。



(兄弟のような二人に中てられたのだろうか・・)





その桜が舞い散る春の暖かさの中で、明にとって意味のある重要な出会いがあった。




そしてそれが光の希望と絶望を呼ぶ、最も残酷な序章でもあった。