『神曲』第十一楽章



誰が見ても強姦だったとはいえ、緒方とのあってはならない過ちをヒカルは犯した。
行洋とのやりとりで弱って見せてしまった隙に、緒方が仕掛けた暴挙ともいえる肉体関係。
結果的にそうなってしまったそれについて深く傷つく。


あの悪夢から連休を経たが、倦怠感がヒカルを苛んでいた。
しかし欠席だけはヒカルは奨学生の身の上では決してしてはならない。
どんな理由があろうと、今日も学園で授業に出なくてはいけない。
「だるいなぁ…どうしてこんなことになちゃったんだ…。」
緒方がだから…と言って単純に嫌いきれない。差し引いても彼に対する恩の方が勝ってしまっている。
しかしアキラより遥かに激しく、そして大きな楔のせいでヒカルの身体の負担は計り知れないもとして圧し掛かり、 起き上がるのも辛くなっていた。
少し動くだけで未だに鈍い痛みが走る。


緒方は行為の後ヒカルの身なりを整えて、藤原の家に車で送った。
佐為に練習で疲れて寝ていたところ、見兼ねて運んだと事情を話して…
(本当の事は…誰にも言えない。俺も信じたくない。)
ぎゅうっと自分を抱き締め瞳を伏せる。
今でもまだ緒方の感触が、至る所に残り香としてヒカルを苦しめる。
奇しくも緒方のした事は、ヒカルの中に暗い印象を燻らせ支配していた。
流石にそんな出来事のせいで、お風呂に入り損ね軽くシャワーを浴びる。
身体のあちこちに凌辱のあとが、ヒカルの白い肌に様々な色で跡となっていた。
(アキラを好きになってはいけない理由ばかり増えるな…兄弟だったし…緒方先生とこんな…)
後ろめたい気持ちばかり募るが、同じくらいにアキラに会いたくって堪らない。
髪から滴り落ちる水滴を、バスタオルで拭きなが、挫けそうな自分をどうにかしないと思いながら、身支度をする。
その時鞄の中でかたかたとバイブレーションとともに、着信音が鳴ってヒカルの携帯が着信を告げていた。
塔矢アキラっというディスプレーが表記され、何度も躊躇ったが、とらない理由はない。
決心してアキラの用件をきいた。


『ヒカル…君、お父さんと何があったんだい?』
突然アキラは驚愕を露わにして、ヒカルに訊ねた。
「何って何??アキラ?」
『今日はその話題で僕の家も学園も、もちろん世間も大変だよ。』
「だから何がどうしたんだって…?」
『僕のお父さんが、海外に無期限移住を決めて、それもなんだけどその時自身の技術を享受したい相手がいると…。 その者を連れての事らしいんだ。』
「へぇ〜それって俺の知ってる有名人なのかな?」
(塔矢行洋が何をしようと、俺にはどうでもいいことだ。)
もっと言いたい事は山ほどあったが、今は考える事が多過ぎる。
特にアキラとの関係を、もっと真剣に考えなければならない。
そんな無関係な話と思って聞いていたのだが…


『音楽学園の奨学生進藤ヒカルを自分が全面バックアップで連れて行くって…一体…僕は正直混乱している。』
なっ何て…!!
「アキラ…冗談だろう?」
まったく寝耳に水な話と、なんだって塔矢行洋が何を思ってそんなリスクを背負うのか理解できない。
(罪滅ぼし??冗談じゃない!!)
「俺は知らないし…こんなたいした実力もないこどもを…きっと気の迷いだよ。」
『世間にも公表しているみたいだし、お父さんはきっと本気だよ。』


急いでリビングのテレビを点けてみると、ニュース速報のテロップにその事が公共の電波に流れていた。
そして別チャンネルでは、塔矢行洋が報道陣に囲まれてインタビューを受けて…
【はい。私は天才奏者をこの手で育ててみたい。その夢に進藤ヒカル君が必要なのです。】と受け答えしていた。
ヒカルが実は想像以上に、潜在能力じみたものが高い事と、実力もある事をアキラは誰よりも傍で感じている。
普通の音楽が出来る少年って考えは、持ち合わせていない。
しかしアキラとてヒカルを連れていく理由がききたい。
何故?それが息子の自分でないなんていう、そんな事ではなく行洋には何かもっと深い事情がきっとある。
『今実は筒井さんから聞いて、君の自宅近くなんだ。』
アキラは学園に行っている場合ではないっと、ヒカルの居候先の藤原の家に向かった。
居ても立ってもいられず、ヒカルの意思を確かめるために…


藤原の家に迷惑が掛るといけないと、ヒカルはアキラと一緒に近くのあまり人が来ない公園で待ち合わせ、 二人はブランコに腰掛け揺られながら、お互いの気持ちを知ろうとする。
「ヒカル…僕はお父さんの考えがまるでわからない。前に僕と君の接点を断とうとした。それなのにこれは…。」
「お前のお父さん…本当にどうしちまったんだろうな…。」
あの後もっと逃げずに話を聞いていれば、こんな最悪な事態を回避できたのか?
今更責任を取ろうなんて…しかもこんなかたちで…
ヒカルは彼はもっと冷静な者だと思っていた。
こんな風にアキラに疑惑を残すような、こんな馬鹿げた方法を何故とろうなんて思えたのか…


「僕はお父さんの人生に口を出したくない。でもなんでよりにもよってヒカルを巻き込むんだ? 君は音楽が出来る学生だけじゃなく、息子の恋人なのに…」
「アキラ…。」
「僕はヒカルを外国にはやらない。例えお父さんに逆らっても…絶対に…。」
アキラはヒカルの海外留学は、ヒカルにとってプラスになるとは思っているし、 プロの実力をつけるのは時間がかかる事ももちろん知っている。
フェスティバル選考で感じた、ヒカルへの脅威を鑑みても、こんな話遅すぎるくらいだ。
しかしヒカルの将来より、自分とヒカルの恋を憂う。
ずっと海外へ行ってしまったヒカルを待てるのだろうか?
絶対にアキラはヒカルを求め、精神が狂ってしまう事は確実だと感じていた。


「それくらいに愛している…君だけを…」