『神曲』第四楽章



晴れて恋人同志となったヒカルとアキラ。


しかし方や奨学生と、生粋のブルジョワ階級の少年。
周囲のその存在価値観の相違や、本当の冷ややかな冷遇を受けることとなった。


友人は二人を温かく見守っていたが、それだけが二人の環境ではなかった。
学園のアピ−ルの一環で行われたフェスティバルに、その学園の素晴らしさと印象誇示のために、 当然と言っても過言でなく、搭矢アキラが重役の満場一致で選ばれた。
そのピアノの技量と、父親である高名な搭矢行洋指揮者の息子という特典。
誰もそれ程の者を奏者にしないわけが無い。


だが一部の教員はその強行手段に反対して、本来の音楽の神髄に触れている進藤ヒカルを推した。
そもそも【音楽とは音を楽しむ】と言う言葉を信じて邁進している者には、 進藤ヒカルの奏でるバイオリンの音色に、それを見出していた。
そして搭矢アキラも納得がいかず、今学園は揉めていた。


「いいじゃん。別に。俺は見せ物のような音楽には興味ないし…」
「何をバカなことを言っているんだ。君は!!これは音楽好きな僕にも許せないし、 君にとっても世間に評価してもらう絶好の機会だろう?」
ヒカルの生活を同時に圧迫している今回の一件。
ヒカルは天涯孤独で此処に在籍している。
だから結果が出なければヒカルの将来は危うい。
しかもそれを妨げる障害に自分がなっていることが、どうしても腑に落ちない。
(僕にもっと発言権があれば…。こんな考えが良くないんだ。本当は…)


「アキラ…。どうだ。今回のリサイタルは。」
「父さん。久しぶりに日本へ帰ってきたんですか?」
アキラが姿を現す前に、行洋は分かったように話しかけていた。
まるで近付くものを感じ取ったように…


「ああ。たまには母さんやお前に会いたいからな。それより進藤って生徒がいるようだな。」
「はい。そうです。それが…?」
「あれには近付くな。お前にとって邪魔になるなら排除してもいいぞ。」
楽譜(スコア)を確認しながらそうアキラに行洋は一喝した。
互いに面識がなさそうな父親とヒカルの筈が、 行洋はそうではなく敵愾心があると全身で訴えていた。
瞳の厳しさがそれを物語っていた。
「どうしてなんですか…。僕には判りかねます。ですので訳を…」


アキラは折角出来た親友兼恋人を非難された事が、 しかも尊敬している父にそう言われている事実が信じられなかった。
だから自然に口調が激しくなるが
「お前には関係ない。父さんを困らせたくなければ言う事を受け止めなさい。」
そして言葉をそれ以上は言わず、自宅のホ−ルで指揮棒を振りながら自分の世界へ溶け込んだ。
それは行洋の偉大な才能は果てしない努力から培われたものと。


「父さんは進藤ヒカルを知っている。でも僕にはわからない。どうして邪険にするのか。」
端整な表情を曇らせて、そっとヒカルの今日の音色を思い出す。
ベ−トベンのヴァイオリンソナタ『春』を、楽しそうに弾き語って、アキラに笑顔を送っていた。
ヒカルの弓は魔法でもあるのか、聞く人を喜ばせてそして温かく包む。

だから憧れる。だから求める。

そんな切ないアキラの苦悩など、身内も自分を塔矢の二世と見る人間にはわからない。
ヒカルだから初めて全身でアキラを捉えた。
(ヒカル…僕はどうしたらいいんだ。君をこんなにも大切に考えているのに…)


「お母さん。俺やっぱり許せないよ。でも俺はアキラだけは憎みたくないんだ。」
雨音が酷い天気に傘も差さず、薄汚れた墓場の前に立っている。
次から次へと落ちる滴が、ヒカルの全身を濡らしていた。
そして唇を戦慄かせ、寒さと淋しさを訴えていた。
ついで頬に伝う涙が痛々しい。
「だから俺、もっと頑張ってみるから。この能力と共に…。」
何か強い決意をして、一輪のしおれたコスモスを石段に置いて去っていった。


「そうなんですか…。はい。済みません。」
「どうしたんですか。佐為兄さん。」
「慎一郎。ヒカルがまた妨害にあったそうです。多分彼に…。」
電話を切って落胆する藤原佐為はヒカルの親戚。
その弟が慎一郎という。


両親を早くに交通事故で亡くしたヒカルを、不憫に思って16歳で自立した佐為が育てた。
兄を尊敬していた慎一郎は、家事を手伝う事を条件に同居。
そこに訃報をかなりたってから聞いて、再会したヒカル。
当初親戚を盥回しにされて、心を閉ざしたヒカルは口も利けなかった。
しかし懸命に接した二人はヒカルを立ち直らせて、今日に至っていた。
ヒカルを引き取った二人は、音楽に通じている者で、兄である佐為はフル−ト。
弟慎一郎はピッコロの奏者。
音楽の何たるかをヒカルに示した。
二人はヒカルの秘密に一番近い場所で、いつも支えていた。
しかし世の中上手くいかず、ヒカルの才能は埋没していく。


それをある者が手助けする事となる。