『ハーモニー〜共鳴する恋人〜』後篇



不器用で本当に欲しいものが昔から手に入らない旧友。
こんなこと一度や二度じゃない。本気になった相手ほど手が届かない。
でもそれとこれとは訳が違う。


「全く迷惑です。私は貴方の思い人の代替え品ではないのですよ。」
「そうだな。それ以上だよ。現在の俺にとっては掛け替えのない存在だ。」
だから困る。自分にとって緒方はまだ未知数で困惑しかまだしていない。
虚無感に襲われたからといって、その相手が緒方かどうだかまだ分からない。
自分は他人から求められた事も、ましてや自分から求めた事もない。
ただ過ぎゆく現実を過ごしていただけ。
実は空っぽなんだと今まで気が付かなかった。
だから…


「もし仮に私が貴方に応えたとしたら、私にどうしたいのですか?」


挑発的な発言をした佐為の唇に緒方は指を這わせて
「はじめに此処で触れ合い、舌先で溶け合ってゆっくりと時間をかけて互いの存在を確かめるように、
身体を重ねて弄りそして…」
ゆっくりと指を下半身に移動させて佐為の尻の谷間で制止し
「この場所で俺の情熱を受け入れて貰う。」
きっと男同士…結婚などあり得ない。
だから男女以上に確かな証が欲しいのだと緒方は佐為に告げた。
全然理解出来ない男同士の恋愛事情に辟易しそうになるが、
「馬鹿な質問をしました。でもそうなんですね。」
本当に人を愛したらその人と幸せな夜明けを迎えたい。
言葉だけじゃなくそれを全身で感じたい。
どんな奇麗事を並べてもそれは当たり前の感情(こうどう)。


「私は貴方をまだ理解出来ません。だからちゃんと焦らず教えて下さい。
なんだか必死さが痛々しいです。」
これは佐為の今出せる本音だった。
緒方はきっと佐為が他人のものになってしまう事を懼れて、だからこそこんなにも足掻く。
分かって欲しいから…愛している気持ちを…
「俺からお前はきっと逃げて、俺を置いていってしまう。」
辛い恋愛経験で実際人間不信になりかけていると吐露する。
「私は此処にいます。貴方の言葉を真剣にききます。」
あの日の雨がまだ緒方の中で降り止まないのなら、少しだけ雨宿りさせてあげたい。
純粋過ぎて破滅的な思考の緒方を放置できない。


この感情は何と言うんだろう?
同情でも憐れみでもなく、偽善でもなくって…

―分かってあげたい。そしてありのままの自分を話してみたい。―

(そう…知りたいのかもしれない。まだ見せていない互いの本当の姿を。)
そんな思いに囚われている二人の前に、キャリーケースを携えたヒカルが現れた。
「佐為兄…と…緒方先生…」
親の遺産の楽譜を持って、母校に訪れていた。
アキラとの約束で帰国したヒカルは、まず自分が奨学生の身で卒業を果たせず留学したので、
それを現校長に謝るために、やっと決心して訪問したと。
しかしそこでまさか抱きあっている二人を目撃するなんて、思いもよらなかっただろう。
自分を慈しんでくれた佐為と、自分を苛んだ緒方。
幸福と恐怖が綯い交ぜになりそうだったヒカル…


「そうだったね。二人は知り合いだったもんね。」
「ヒカル。また成長したんですね。背が少し伸びました。」
そう言って駆け寄ろうかと思ったのだが、もしそうしたらこの腕の主が苦しむ。
その証拠に全く腕の力を緩めてこない。
「俺…もうすぐ日本で誰に遠慮もせずに、音楽家として活動をするよ。
その最初の演奏会。佐為兄…一緒に演奏してくれない?フルートのパートが空席なんだ。
それに俺の腕前を一番近い場所で確かめて欲しい。」
夢に希望を抱いていなかったヒカルが、前向きな発言をしているのが正直嬉しい。
あの時の自分の判断は間違っていなかった。
それと同時にこの彼に向き合えるほどの事を自分はしてきたのか?
「進藤。それがお前の答えなんだな。もちろん塔矢アキラもそこにいるのか?」
至極冷静に話す緒方に、
「そうだよ。俺はもう自分に絶望したりしない。だからどんな事でも乗り越えてゆくよ。
それを思い知らしてくれたのは間違いなく緒方先生だから…。」
二人の中に佐為が分からない遣り取りがあった。
ヒカルは緒方を本当はこんな形ではなかったら、きっと直視できなかったし、
緒方もまた佐為という存在が此処に居なかったら、また恋情に駆られてヒカルを苦しめていたかもしれない。
でももう以前の二人ではなく、ゆっくりとだが心の整理が付いていた。


ヒカルは両親の絆を守りアキラと生きる。

緒方はこれから佐為と絆を深めて、唯一無二の関係を築く。

そこに迷いはなく、もう互いを傷付けあう関係に揺らされない。
だからその決意を示す為、緒方は佐為を引き寄せヒカルの目の前で口付た。
薄い色っぽい佐為の唇に、男として愛している気持ちを込めて初めは触れるような、
しかし次第に激しく舌を絡めるように奪うようなそれを、ヒカルに見せつけた。
「お…緒方先生。佐為兄に何を!?」
びっくりしたがそれが緒方の意趣返しでも、佐為やヒカルを困惑させるだけの冗談でもない事を、
眼鏡の向こう側の鋭い眼差しが物語る。
「うぅん…はぁはぁ…。」
急に呼吸を奪われた佐為は、緒方が接吻から解放してくれたので荒い息をしていた。
口の端には互いの唾液が逆光に煌めいていた。


「俺はこいつを貰う。進藤いいだろう。もうこいつが居なくてもお前は大丈夫だろう?
俺はこいつが居なくては生きてゆけない。だから許してくれ。」
緒方の心に芽生えた確かな愛情を、ヒカルは否定出来ない。
自分も佐為にどれほどか救われた事かを知っているから。


気品があって気立てがよく、文武両道で非の打ちどころがない優しい兄のような存在。
もう一度家族の温かさを思い出させてくれた恩人。
「緒方先生。佐為兄を本当に守ってくれるの?俺は何も佐為兄にしてやれない。
だからどうか俺の分も支えて下さい。」
佐為の未来(じかん)をヒカルだけに留めたらいけない。
きっと全てを犠牲にして家族を守り続ける。途方もなく…
実際ヒカル達のために音楽の道を断念して、生活のため教員免許をとり公務員の道に走った。
それでもヒカルの音楽の道のため、時々自慢のフルートを奏でてくれる。
たった一度の人生なのだから、もっと自身のやりたい事につかってくれてもよかったのに。


「ヒカル。私はこれで好かったのですよ。貴方が心配しなくても。」
「佐為兄…」
「私は貴方達が宝なんです。だから私に気兼ねしないで選んだ将来を歩みなさい。」
学園の時計塔が5時を告げる鐘を鳴らしていた。
そしてアキラとの待ち合わせに遅れるからと、ヒカルはバス停に駆け走って行った。
手を振りまた会いに来なさいっと笑おうとした。
しかし叶わずそれを見送った佐為はそう言いつつも泣いていた。
こうなるまで気が付かなかった淡い感情。


「緒方君。私はきっとヒカルを愛していたのですね。兄として…父親として…そして
ひとりの男として。今はっきりとわかりました。貴方のあの日の胸の痛みを…。」
彼を引き取ってからいつもヒカルを見送っていた。
玄関から出掛ける彼の背中が愛おしかった。
それは絶対に帰ってくると確信があったから。
でも今日のヒカルは佐為の元にはもう帰って来ない。
振り向かず彼は自身が求める者に駆け寄っていくだろう。


これは喪失感からなどではない。ずっとヒカルと一緒に傍に居たかった想いと独占欲。
親心と勘違いしていた恋心…。
その佐為の告白は緒方も理解していた。
決して届かない恋心(おもい)。
哀しいかな似た者同士の二人は、同じ青年に恋して…そして失恋した。
「俺では駄目か?ヒカルじゃなきゃ駄目なのか…」
「そうですね。今は無理かもしれません。でも私もこのままじゃないです。
あの子が与えてくれた思いに応えられるように、貴方と言う身近な人と理解し合いたい。」
そう言って緒方の胸で佐為は泣き腫らした。




「あれからもう2カ月か…。」
『神曲』と言う進藤夫妻の残した曲を完成させる為にヒカルは卒業後…塔矢アキラの元へ。
ヒカルは黙っているがアキラと同棲生活を始めて実質押しも押されぬ恋人同志となった。
彼らの波乱万丈な過去から考えたら、祝福してあげるのが良いのかもしれない。
しかしやはり腑に落ちない。
「私の方が断然良い男なのに、ヒカルはどうして塔矢アキラを選ぶんでしょう?」
もはや七不思議に匹敵すると佐為がぼやくと
「そんなお前は仮にも親友兼恋人の俺に、何で嫉妬させる事を言うんだ。」


更に水面下で驚愕だったのは…
「それに慎一郎が…今回のヒカルの演奏会セッションで一緒になった和谷君とまさかの意気投合?!
和谷君の家に入り浸りで寂しい限りだし…。」
そこまで大きくはない自宅だったが、がらんどうな感じで滅入っている佐為の事を思って緒方は半同居をしている。
「俺は良い事だと思うぞ。慎一郎君ももう大人だから親離れしなきゃならんだろうし。
お前にとっては辛いだろうが…。」
意外に駄々をこねる佐為の手を握りしめて
「どんな時でも俺が傍に居る。だから安心しろ。」
強引で一途でそれでいて繊細な緒方が此処に居る。
なんで自分を好きになったのかまだ聞いていない。


「緒方君。君…親から再三結婚の話が持ちかけられているのに、私に構って居て良いのですか?」
緒方の家に遊びに行った時、部屋の片隅に積まれていた見合い写真の山。
興味半分で開くと、ドレスアップしたり振袖姿の美人女性ばかりだった。
佐為も親から負けずに持ちかけられているので、お互いさまだったが…
「まぁ年齢が年齢だしな。でも俺は絶対に結婚しない。」
「親不孝者ですよ。」
「それより俺はお前と一緒にこの家で暮らしたい。」
「それは無理ですよ。慎一郎が居ますし…」
それを聞くなり緒方は


「きっとその最後のお前の砦の慎一郎君も、和谷君とめでたしめでたしだったり…。」
なんでもかんでも男同士の恋愛に結び付けようとする緒方に呆れて…
「困った人ですね。貴方は…。人の弟をなんだと…。」
失礼にも程があると反論してみたが
「年頃の男子が女を作らず、気が合うだけでこんなに実家を空けるかよ。」
タバコを吸いながら力説してきた。
もし慎一郎までそんな関係を望んでしまったら、藤原の家は自分達兄弟の代で終了してしまう。
それだけは阻止したいものだった。
「ちょっとヒカルと慎一郎を交えて家族会議しなくては!?」
「おいおい…そりゃあいつら迷惑だろう。」
「いいえ。これは由々しき事態なのです。私達みんながこの不毛な関係を続けてしまえば、
先祖代々に申し訳ない。ですのでやっぱりいろいろ白紙に戻します。」
極端な天然の佐為の暴走を止めなくては…っと緒方は
「無理だろう?お前。そんな事をしたらあいつらに絶交されるぞ。」
目に入れても痛くないほど可愛がっている二人から無視されたらショックで堪らない。
それに確かにそれなりに過ごす事が楽しくなっている緒方との関係も単純では括れない。


「せめて私か貴方が女だったら問題ないのですが…。」
無意識に緒方と離れる事を考えていない、寧ろ好意ともとれる呟きを洩らしていた。
それを聞き逃さなかった緒方は
「藤原のご両親にはどんなに時間をかけてでも、俺達の関係を認めてもらえるよう努力する。
だから傍に居てくれ。」
常識的に厳しいだろう現実に、しかし恋を捨てて建前だけでは虚しい。
長男として、また一人息子として親不孝なのは承知している。
仮にも公務員としての社会的立場も互いにはある。
でも引き返せない。
緒方はもちろん、佐為とて本音ではもう緒方に惹かれ初めて居る事を自覚している。
「もう少し待って下さい。せめて貴方が私を思ってくれている程に、私が覚悟が出来たら…」
そう言って緒方の肩に持たれて耳元で囁く。
その佐為の意地らしさに愛おしさを感じで緒方は佐為の顎を攫みキスをした。
それを以前のように意識していなかった佐為ではなく、頬をほんのり赤らめて受けていた。
角度を変えてまるで佐為と言う存在を確かめるように、緒方は唇と舌をつかい味わっていた。
(これが一方的なものでない。愛し合ってる者の交わりなのか。何て充実感なんだ。)
いつしか奪う事でしか相手と向かい合えなかった事が、こうして与えて応えてくれる。
そうこれは『共鳴』…一人では起こり得ない奇跡。


ぎゅっと佐為の身体を引き寄せてそれを噛み締めていた。





緒方さんの救済と補完の話。
そして佐為のヒカルへの思い。
緒方さんと佐為はヒカルにとって素直に甘える事が出来る相手。
でもアキラを選んでしまった事によって、二人から自立しなければならない。
そんなエピソードを書きたくってこの話を書いたんですが、この二人がCPに!?
今でも不思議です(笑)
因みにこのタイトルはこの『神曲』のオリジナルでした。