『ハーモニー〜共鳴する恋人〜』前編



どんなに組み敷いても、自分の所有の証を刻んでも手に入らない。
不幸ばかりが襲う彼にとって、これ位の事は全く気にも留めない事なのか?
優しくすれば良かったのか…どこで道を間違えたのか…
異常なまでの関係に壊れそうになりながらも、じっと嵐が過ぎるのを待っているヒカル。
今はこの手の中に堕ちて居る事だけが現実…


ドイツでヒカルを事あるごと待ち伏せては、強引に迫っては一方的なセックスを強要し明け暮れる。
無我夢中でヒカルを追い求めてゆくが、しかし緒方のその行動はヒカルにとって暴挙以外何物でもなく、
彼が行洋になんら働きかけ緒方を遠ざけた。
「どうして…こんなにも思い詰めるくらいお前が欲しいのに…。」
恋に溺れ我ながら可笑しいと笑みを零すが、眼鏡を掛けているのに視界が滲む。
頬に涙が伝い筋がいくつも出来て、掌で顔を覆い声を殺して泣いた。
(俺と塔矢アキラの何があいつにとって違うんだ。未だにどんなに考えても全く分からない。)
ドイツの街角でぽつぽつと雨が降り、緒方はベンチで傘がなく静かに雨にうたれていた。
次第にきつくなる雨音にそれでも…。


「あれ?もしかして緒方君?」
こんな知り合いのない他国で、親しげに話してくる者がいた。
傘を差してまじまじと緒方を見ている相手は…
「藤原佐為君…何故ここに?」
「それはこっちの台詞です。あなたこそどうしてこんな場所に?旅行ですか?
私は留学していた時の友人との同窓会で、まあもう終わったのですが…。」
贈り物でも交換したのか、手荷物をもってそれを横目に懐かしそうにしていた。
「そうか…。」
「そうかじゃないですよ。折りたたみ傘が余分にありますので使って下さいな。風邪をひきますよ。」
佐為は鞄をごそごそと探ってから、そっとナイロン製の紅い傘が緒方に差し出した。
自然と何も見返りを求めない思いやりに、緒方はまた涙が出ていた。
そして佐 為の腰に手をまわし、泣き声をあげて縋っていた。
急にそんな事をする緒方におろおろしながらも、何か辛い事があったのだと悟って黙って受け止めていた。


「落ち着きましたか?少しは…。」
屋外では身体に悪いと、佐為はドイツにある自分の別宅に緒方を連れてきた。
タオルで緒方の雨滴を拭い、空調を整え温かいコーヒーを淹れて緒方に渡す。
まるでお母さんのように甲斐甲斐しく動く彼に、なぜか緒方はほんのりと体だけでなくこころも温もった。
「やはりお前は母親のようだな。何時見ても。」
「慎一郎やヒカルには幸せに育って欲しいですから。夢に必死な弟と生きる事に精一杯なもう一人の家族…
ちいさい夢かもしれませんが私は家族を支えていきたいのです。」
照れくさそうに佐為は二人に対する深い愛情を緒方に話した。


その話を聞いた緒方は正直罪悪感が芽生えた。
(そのお前の家族のひとりを俺は凌辱していたんだ。何度も…)
夢のように愛撫して、そして所有の痕を刻み、自分を忘れさせないため苛み貫いた。
全くゴムをつけずそこに吐き出した精液の濁流が心地よい。
純粋にヒカルを見守っていた者の前にあわせる顔など持ってはいない。
俯いて緒方は考え込んでしまっていたが…
「貴方もヒカルを守ってくれていたのでしょう。ヒカルはあの学園では異端児でしょうから。
才能は非凡ですが如何せん後ろ盾がないのは、上流思考のあそこでは厳しいでしょうですから。
でもヒカルが少しでも笑っていられたのは、事情を知っても尚、ヒカルを同情や見下さず受け止めてくれた貴方のお陰ですよ。」
進藤両親の旧知の者でも、世話を焼く義理はなかったのに…と佐為は感謝していた。
もともと進藤家は多少なり音楽家を輩出していたそこそこの資産家で、ヒカルは其処の分家の子息だった。
正確には両親が生きていたら間違いなく、もっと世に早くに注目されていた。
しかし交通事故でその未来に暗い影が覆い、ヒカルの才覚を嫌う親戚に親の財産も将来までも奪われていた。
海外に移住中の遠縁の藤原一家がその事情を知ったのは後の事だった。
葬式もヒカルの件も知らされず、良識のあった佐為達はどんなにか煮え湯を飲まされたか。
だから緒方のしていた事を目の前の佐為も、もちろんヒカル自身も救われていたのだと緒方に伝える。


「俺は…ヒカルを愛していた。はじめて学園に現れた時から…。」
「ありがとう。私もあの子を愛しています。だから嬉しいです。」
緒方の手を添えるように握り微笑みかけて、
「何があったのか分かりませんが、緒方君も幸せになって下さいね。かつての幼馴染が凹んでいたら心配でなりませんから。」
慈愛の塊のような佐為の言葉に、緒方は傷心だった心が次第に癒されていた。
(こんな奴のそばに居たから、ヒカルはもう一度立ち直って歩き出せたんだな。なんだか惚れそうになるな。)
小学生時代からの付き合いだったが、佐為をしっかり理解出来たのははじめてだった。
自分の幸せより他人を優先する一歩間違えば偽善者だが、彼はそれとは違う。


そっと佐為を引き寄せ、緒方は唇にキスを…
不意打ちに面食らっていたが、佐為とて緒方が冗談がうまいものではないのは知っていた。
「失恋でもしたのですね。残念ですが私は男ですよ。」
「見ればわかる。お前にとって迷惑かもしれんが、ちょっとだけ慰めてくれんか?」
「嫌ですよ(笑)。こんな手のかかる大人を世話するのだけは…。」
けらけらと笑いながら緒方の要求を却下する。
そんな佐為を横目で見ながら
「馬鹿にして…覚悟しておけ。俺はお前を絶対にモノにするからな。」
そんな本気も遊戯のように佐為は捉えて…
「はいはい。出来るものならやってごらんなさい。私は理想が高いですよ(笑)」


失恋での傷心中に差しのべられた幼馴染の傘。
その冷え切った体に染み込む優しさに、もう一度自分を取り戻す希望が湧いた。


過去にはまだ出来ない恋に終止符を打つために、一番欲しかったヒカルを奪った恋敵アキラに会いに行った。
元々偶然が彼らを出会わせ、安心できる親友が一気に恋愛関係に陥っただけに、
もう互いに惹かれあっている間に隙などなかった。
自分が諦めれば彼らは幸せになれる。
もっとも自分の恋心を気付くのも、告白するのも遅くただこの恋はヒカルにしたら混乱しかよばない。
いい大人の自分はそんなこととっくに分かり切っていた。


【何故彼の将来に向き合ってやらなかった。】とそう言い放ったアキラに我に返った。
正直朴念仁か過ぎた優等生にしか見えなかったアキラに、ヒカルへの本気の愛を教えられた。
アキラとて両想いの中でも、相手の立場を思い遣るため、辛い孤独の毎日を過ごしていた。
ヒカルの出生の秘密に触れても、弟としてではなく、ひとりの男としてしっかりと自分を見失っていない。
―ヒカルを愛している―ただこの感情だけを胸に…
(もういいだろう…こいつにならあいつを任せられる。そして俺は…)
藤色の長髪の美人な幼馴染を今度こそ振り向かせる。


藤原家に鳴り響く固定電話の音。
それをその家の次男である慎一郎が応対する。
「佐為兄さん…電話だよ。」
リビングで新聞を読んでいた兄…佐為に繋ぐが
「慎一郎…誰から?」
「最近兄さんにご執心な…」
「ふぅ…やれやれ。毎日私の家に電話をかける暇があったら、合コンか見合いでもして身をかためたらいいのに。」
ドイツから互いに帰国して、それから毎日緒方はモーションをかけている。
佐為は小学校の教師で、今小テストの作成と子供たちの宿題のノート点検で忙しかった。
(これがヒカルなら、全然気にならないのに…寧ろ嬉しい。)
藤原家に居候していた遠縁の青年を思い浮かべては、幸せな気分になっていた。
最近本当の父親が現れ、その者に将来や私生活を支援され自分のお役御免に嘆いていた。
正に子離れできない父親の気分を味わっていた。


「何ですか?緒方君。」
『御挨拶だな。明後日の日曜日空いているか?』
メールアドレスを教えているにも関わらず、直接こうして声をききたいのか会う約束を交わそうとする。
そんなに昔もそこまで深い交友関係でもなかったのに、一体こんなことをする意味が分からない。
失恋した…と言っていた。そのハンカチになってくれと懇願された。
全く世話のかかる友に呆れながらも
「まぁ…午前中は予定がありますが、午後からは今のところ。」
『そうか。なら音楽学園の俺の個人室に来てくれ。』
「あのですね。たまの休日くらい私も家でゆっくりしたいのですが?」
『そう言わずに。どうしても会いたいんだ。』
大抵はそつなく相手に対応するのだが、何故か邪険にしてしまう自分がいる。
ちょっと強引すぎる緒方の性格だが、昔からそれは変わっていない。
音楽を通じて出会ったのは、ヒカルとアキラのそれと近いのかもしれない。


(貴方は気にしていませんが、私達首席争いをした仲だったんですよ。)
努力をせずに要領よく技術を習得できる緒方。
天賦の才があり更に向上心の塊の佐為。
周囲はそのあり方に比較しては批評していた。
(そして貴方はそう言えば両刀使いでしたね。)
もちろんそのルックスは女性に好意を寄せられ、その毅然とした立ち振舞いは男性の憧憬を集めていた。
憧れの進藤正夫先輩に淡い思いを抱き、それを何の脈略もなしに佐為に相談したこともあった。
男同士に未来などないのに実に不毛な、そして切ない思いもあったものだと緒方に教えられた。
告白も許されない一方的な感情。ものの数か月で告白以前に玉砕を経験していた。
その人がこの世を去り落胆していた事を過去として過ごして、常に恋人はいない時はなかった。
母校で教鞭をふるいその人の息子に出会った。
今思えば進藤正夫とは血の繋がりもなく、戸籍上のこどもだけだったのに面影を探してさまよっていたのかもしれない。
(よもや失恋相手ってヒカル?まさかね…)
色々と思い当たる節はある。
学園生活での必要以上の過保護。そしてヒカルを送って来たあの日のヒカルの消耗。
観光でもなく知り合いもいないドイツでの自分との会合。
可能性の域を出ないのだが、すべてヒカルに伏線が張られている。
(考え過ぎですね。流石にそんなわけがない。)
頭を振り否定しかなり強引に誘ってきたので、佐為は渋々その日緒方と会う。


かつての学び舎に佐為は懐かしさと同じ位に、感謝の気持ちでいっぱいだった。
ヒカルを救うきっかけとなった場所。
黄昏時校舎では自主練習に励む学生の音が聞こえる。
(これを奏でている者も、いつか此処を巣立ち夢を追うのだろうか…)
随分気の遠くなる道だけど、それを諦めなかったら道は切り開ける。
「可笑しいですね。自覚したくなかったけど私は…。」
自然と眼に涙があふれ頬を濡らしている。
きっと寂しいのだ。共に分かち合ってくれる相手がいない。
ヒカルは近い将来必ず世間が見過ごせない位のものとなるだろう。
慎一郎も同じくあの家を旅立ち、自分の唯一の相手を見付けるだろう。
そんな時傍に何が残るのだろうか?


その佐為の背中から抱き締める腕があった。
逞しいしっかりとした大人の腕(かいな)は、ひどく佐為を安心させた。
(…って誰なんですか?)
肩越しに相手を窺うとそれは緒方だった。
真剣そのものの表情で佐為の頼り無げなそれを支えていた。
「あっ…あの。此処貴方の職場でしょう?!こんな男同士の抱擁…」
「お前に俺の覚悟を表現したまでだ。俺はお前に惚れている。」
「何を言っているんですか。また変な事を言って…。」
慌てる佐為とは違い、緒方は自分の告白を真摯に語る。
「俺はいつも愛し方を間違ってしまう。お前にあの日再会してそれを悔やんだ。
愚かかもしれんが、俺はそいつは別に愛している者が居るの知っていて手を出した。
その後そいつは深く傷つき本当に愛している者に応えてやれん日々を送る羽目に。
本当にひどい奴なんだ。俺は…。でもそんな俺でも今度はちゃんと向き合いたい。
どんなに嫌われても、自分と同じ気持ちを抱いて貰わなくてもお前が欲しい。
馬鹿かもしれんが、迷惑かも知れんが…」


ぎゅっと強く抱きしめる緒方に佐為はされるがままになっていた。