『神曲−第2部 第五楽章−』



ヒカルと再会して知った真実は、僕達をより血の繋がりといった絆がある事と、
それと同時に其処に居るのに、全身で愛し合えないという残酷さも秘めていた。


何も知らなかったらよかったのだろうか…
でも出会った後悔だけはしてはいない。
こうして彼を傍に感じるだけで充実感と昂揚感に襲われる。
彼の中に僕だけにみせる表情がある。
しかしヒカルの状況はそこまで楽観的ではなかった。


藤原家にはその日は泊まらず、塔矢家に是非とせがまれ留まる事となってしまった。
明子は客間を用意すると言ったのだが、アキラが自室が広い上に学生時代の事を懐かしみたいとヒカルを招いた。
今はヒカルとアキラの二人きりで沈黙が流れたが…
「アキラ…俺の事を恨んだろう?こんな何もお前に与えてやれない俺を…。」
「………。」
「お前のお父さんの隠し子で、まるで償いのようにお前とお父さんの時間を奪い、何も言わずに姿を消した俺を…。」
3年前自分が受けた衝撃と向き合うだけで精一杯だった。
アキラの気持ちを確認する事を恐れて、逃げたと思われても仕方がない。
あれだけヒカルを守ると誓ってくれた相手に、どれだけ酷い事をしたのか自覚はしている。
唇を噛み締めてずっと胸に痞えていた事をアキラに話した。
瞳を伏せて謝ってくるヒカルの頬に手を当てて頭を振り
「ヒカルこそ僕を恨んでもよかったんだよ。ぬくぬくと親の膝下で生きて、まったくそれに疑問も持たず、
それどころかヒカルの全てを理解しているつもりでいて、いざ君が苦しんでいたのに、裏切られた気分で被害者気取りもいいところな…
でも僕はヒカルの最奥まで欲しいんだ。」
言い終わらないうちにヒカルの顎を指で攫み、上向きにさせ唇を塞ぐ。
ふいに触れたアキラのそれに、ヒカルは得も言われぬ喜びに似た安心感と、そして同じ位に呪いの言曳き付け葉(しるし)を…


『進藤…塔矢とは兄弟ではもう繋がれないな。どんなに愛し合っても…。だから俺が愛してやる。隅々まで…』


急に緒方に身体を奪われた時に聞かされたそれがフラッシュバックする。
耳を塞ぎたくとも赦されず、言葉でも肉体でも刻み付けられた。
何度も止めてと叫んでも、緒方の言ってくるそれが正しくて、反論すら出来ないどころか、
真っ直ぐにヒカルを求める激情にすら負けてしまう。
こんな感情は間違っていると切り捨てたくとも出来ずどうしようもなかった。
「俺達は兄弟なんだ。男同士なんだ。こんな思いを抱いていても何も…。」
「ヒカル。怖いんだね。僕との不安定な未来が…。もしお互いが別の女性に惹かれ袂を分かった時がきたなら、
それは仕方ない。でも今この思いは間違いなく本物なんだよ。僕は頼り無いかもしれない。でも強くなる。君の一番傍で…。」


震えるヒカルの肩を引き寄せて、抱き締めて耳元で言い聞かせるように囁く。
「何でお前はそんなに馬鹿なんだよ。言っただろ。俺は疫病神だって。」
「僕は強運の持ち主だから大丈夫。そのお陰でヒカルに出会えたんだから。」
アキラはそっとヒカルの首筋に唇を這わせて、ヒカルのバジャマのボタンに手を掛けて外す。
そのムードに流されそうになって、ヒカルは警告音を見逃していた。
まるで確かめるようにヒカルの素肌をアキラが弄っていた。
その時ヒカルの身に、急にまるで拒否反応を示すかのように震えが。
ガクガクと戦慄いているそれに、アキラは


「どうしたんだ。一体…。」
異常な状態のヒカルは、理由が分からず困惑したが思い当たったのは緒方との一件だった。
他人に素肌を触れられる事が、引き鉄となって甦る恐怖の時間。
暗い寝室で助けを求める事すら出来ず、優しい愛撫ではなく拷問の様な苦痛しか感じないセックス。
はじめてアキラに与えられた触れ合えた喜びより、すでに度重なる緒方との行為の方が染み付いてしまっている。
執拗に奪われたそれが一種のトラウマを植えつけられる結果に。
いま正に愛している男の前なのに、絶対にヒカルを傷付けたりしない優しい相手なのに。
漸く触れ合うことが出来る、願っていた瞬間が訪れたというのに、ヒカルはそれでも怖いのだった。
済まなく項垂れてポロポロと泣きながら、アキラに縋る様に訴える様に
「アキラ…俺。もうだめなんだ。応えたいのに…好きなのに…」
本心からもう一度アキラに全て愛されたい。
なのに身体がまったく言う事をきかず、それどころか自分でも青褪めた表情だと自覚できる。
しかし…


「ヒカル。僕は無理強いはしないよ。ごめんね。色々あって疲れているのに。だからおやすみ。」
長旅で疲れて塔矢家に訪問するだけでも気疲れがしたのだろうと、良い方に解釈してくれた。
大丈夫だよと言わんばかりに、布団を掛け直しヒカルと包まる様に眠ってくれた。
その言葉に救われて、そのぬくもりに安心を覚えてヒカルは…


(いつか克服するから。だからどうか待ってて…。)
どうしてこんなにもアキラが好きなのかわからない。
でも出来るだけアキラを感じたく、擦り寄る様にアキラのバジャマの袖を握ってそう決意する。