奇跡のさざ波〜後編『奇跡のさざ波』



父親にかかってきた電話
日常的で余り気も留めなかったそれが私の心を鮮やかにした。
何も無いキャンパスに描く自分の色を・・


「貴方・・電話ですよ。」
新聞のコラムに読み更けていた明人はそれを座卓に置いて
「何だろう?こんな朝っぱらから・・とも子誰からなんだ?」
「あの人よ。私達を歓迎していない・・」
それだけで電話の相手が誰なのか見当がついた。
ゆっくりと立ち上がり、今はモダンさを醸し出す黒電話の前で明人は話しはじめた。


『光輝・・なのか。』
年に数回、不定期に塔矢家に意味も無く電話を掛けて来る光輝に、明人は心中穏やかではなかった。
今でも声を聞く度どうしようもない気分にさせられていた。
『そうだよ明人・・。流石に驚かないんだな。もう・・』
『そんなことはないんだが・・』
『それより明人・・君はどうしても進藤家を馬鹿にしたいのか?』
『どう言う意味だ?私は何も覚えが無いが・・』
『なら話してやるよ。俺の自慢の息子を緒方さんの孫を引き合いに交際を断ったそうじゃないか?お陰であきらは道化にされて、 こちらは思い出したくも無い君との関係を思い出したじゃないか!』


明人と光輝は過去に関係していた。
しかし明人が祖父行洋の死後、塔矢家の家督を継ぐ事となった。
それには若くそして自分で精一杯だった光輝を頼れなかった。
そこで以外にも助言して共にこの一件に挑んでくれたのが、明人をずっと見ていた倉田女流棋士だった。
その事から二人の歯車が狂い始め、二人は自然と別れていた。


『ひかるには婚約は早いと私は思っている。それにあきら君との恋愛なんて聞いていないぞ・・私は。』
『そうやってとぼけていられるのも今の内だ。俺は二人を認めたい反面、君に対する怒りも忘れられない。だから・・』
掻き乱すと捨て台詞のように光輝は言い放った。そして一方的に話を切り上げた。


(光輝・・お前は私だけを憎めばいい。ひかるには関係ない事だろう。お前にとってあきら君が大切なように、 私にとっても娘は宝だから・・)


ひかるはクロ−ゼットから着物を取り出した。
祖母明子が若い頃着付けていたそれを・・
「あきらさん。和服がいいのかな?それとも今風の洋服がいいのかな?わからない〜!!」
今までデ−トらしい事を一度もしてこなかったので、こういう場合の経験と免疫がない。
大きな鏡の前であたふたして時間を無駄にしていた。
ひかるの心は生まれた時からずっとあきらを求めていたからの必死さだった。


(やっと誰が見ても認められる関係になったんだな。アキラ・・)
確信があったわけではないが、あきら=アキラと感じているひかる=ヒカル。
最近寝起きが悪いヒカルはひかるの中で目覚め、そしてそれを嬉しく思った。
偶然父親が連れて行ってくれた教会が、その目覚めを促していた。
そこはヒカルとアキラが真実の愛に到達した縁の場所・・
もちろん緒方の孫との恋愛なんてありえないと、頑なにあきらを求めていた。


ひかるとヒカルは同じ人間だ。


正確には運命共同体で、憑依した訳でもなく列記とした同化した存在だった。
ひかるが主人格でも彼女はヒカルの生まれ変わりは事実だ。
だから互いに存在が許されている間柄だ。
しかしヒカルが明人と光輝の恋愛を犠牲に手に入れた居場所だった。
「アキラ・・それでも俺は望みを捨てられなかった。息子を代償にした俺は酷い父親であっても・・」


あきらはデ−トをする前に、薄々気付いていた社 疾風のひかるへの恋慕に釘を刺しに行った。


「疾風・・僕はひかるが好きだ。」
「何を藪から棒に言っているんだお前は。そんな胸糞悪い話を俺にすんなや。」
幾度もひかるにアタックしたが、連敗記録を更新中だった疾風。
不機嫌を通り越して今はあきらを冷静に見られなかった。多分ひかるが思っているだろうあきらを・・
「お前な・・従兄弟同士をええように解釈しとらんか。ほんまデリカシ−のないやっちゃで困るで・・」
あきらと疾風は従兄弟同士だった。
社6段の娘と、父光輝が夫婦となり、その母の兄と疾風は親子だった。
だからお互いが当たり前に何でも言い合える間だった。
囲碁の事も・・そして自分の感情も・・
しかし此ればかりは、生易しく通り過ぎられなかった。
「謝らないから・・。絶対。ひかるは僕の大切な女性だから・・」
余り我侭を通さないあきらの必死な形相に、疾風は嫉妬も半分だったが正直嬉しかった。


「あきら・・俺なぁ、お前の事正直心配しとんやで。そんなにいっつも潔うて・・。そんなに自分が嫌いなんかと・・」
「疾風・・」
「優しいばかりで損な性格やし。痛いくらいに俺は感じとる。お前がほんまは熱い奴だと。だから今回の事嬉しいんや。 他人を優先せんと自分を大事にするあきらが・・。」
疾風は二人の恋を本気で応援したいと、失恋を受け入れた。
とことんあきらに甘い性格だったのが決定的だった。


「ひかるちゃんは不思議な存在やな。あきらを棋士としても男としても成長させるええ娘や・・。」


あきらはアキラの声を聞いて育っていた。
本来は祖父と孫の関係で括れる互いだったが、自我が生まれた時にはアキラだった。
卵と親鳥の因果に近く、どちらが先が正しいとも言えない。
でもあきらのひかるへの思いは本物で、ヒカルを求めるアキラの執着もまた本物だった。
「ヒカル・・僕はこの廻り会いに感謝している。今度は悲しみから君を解放するよ。」


そして幾年も経て実った想いが、出会った魂が漸く一滴の希望となる。


ゆっくりと育てた恋は愛に昇華し、ひかるとあきらはそれぞれの父親に相談した。


「明人お父さん。私・・あきらさんの事が・・。」
「好きなんだろう。知っていたよ。ずっと・・生まれる前からね。そうだろう?ヒカルお父さん。」
以前自分に憑依した気配を明人は忘れていなかった。
別れもさせてはくれなかった分、その寂しさも明人の心を燻っていた。
「明人・・ごめんな。俺知っていたんだ。光輝と破局する事を・・」
「いいんだよ。光輝が好きなのは今も変わらない。でも僕はお父さんの涙を拭ってやりたかったんだ。ただそれだけだよ。」
光輝を結果的に裏切ったと感じているが、後悔は無いと明人は微笑みかける。
「俺・・お前に其処までしてもらう資格無いのに・・」
「それだけじゃないよ。娘を授かって嬉しい気持ちが大きいのだから・・」


「どうしたら格好良い求婚が出来るんだろう?」
「何ぶつくさ言っているんだ?そんなの雰囲気に任せろ。押しの一手だ。」
「光輝父さん。囲碁じゃないんだからね。それより良いのか?お前にとっては・・」
「過去に拘るのはもう止めたんだ。明人はきっと悩んでこう決めたんだから。それに恋人同士だったのは事実だったんだし。」
光輝は明人を肝心な時に支えてやれなかった事を理解していた。
何でも自分で抱え込む癖を知りながら、それを許してしまった消せない失態。
でもちょっとした意地悪は許されるだろうと、何時も明人に電話していた。ただ声が聞きたくって・・
「それにお膳立てしなければ、何処までも泥沼に嵌りそうな父親を何とかしてあげたくって・・」
毒舌も健在で以前の関係が蘇りそうだった。
「俺達の恋を譲ったんだから、幸せになってよ。じゃないと本気で明人を恨みそうだから・・」
「分かったよ。僕の全てを賭けてひかるとヒカルを世界一幸福な女性にするよ。」


「ひかる・・いやヒカル。僕は今日を忘れない。」
白い花嫁衣裳に身を包み椅子に腰掛けたひかるは微笑み
「当たり前だ。やっと愛でたく結ばれるんだからな。」
「それよりすっかり君のひかるは消えたのか?言葉遣いが・・」
「俺は俺だよ。アキラ。お淑やかが好みなのか?お前は?」
そうやって脹れたひかるを、背後から抱き締め
「違うよ。僕は進藤ヒカルが好みだと、プロフィ−ルでも書ける位だから。でも綺麗だよ。本当に。」
「光輝や明人に感謝だな。二人は今囲碁界での象徴で忙しいけど、俺達を許してくれた。本当は俺がずるいのに・・」


「でも定期的に両家の会食があるんだ。それを素直に喜ばないといけないだろう。」
二人の愛に触れた明人と光輝の思いが癒される日も近かった。


「そうだな。でもどきどきする。こんなの大手合いやタイトル戦でも味わえない位に。」
ひかるはあきらの回した腕に、自分の手を添えてそう呟いた。
生前アキラともあかりとも結婚式場は来ていなかった。
だから異常に緊張するひかるにあきらは・・
「僕の胸も同じだよ。まるで揺れては返すさざ波のように・・。」
「アキラ・・。」
「さあそろそろ時間だ。」




その数年後・・ある病院で産声があがる。


朝日が昇る5月5日・・


生まれたての赤黒い子供を抱き締め微笑む母親が
「おはよう。はじめまして。俺の子供・・佐為・・」
出産に立ち会った者達はその姿に安堵した。
その中でもその父親である青年は・・
「ご苦労様。ヒカル・・そして僕の宝。」
二人の夫婦に挟まれすやすやと眠る新しい魂。
そのあどけない表情に、頬をあからめる母親であるひかる。
可愛らしい普段は見せないそのいじらしい姿に、あきらは労いのキスを施した。
「まさか・・僕達の子どもが佐為さんだったなんて・・。世間は狭いね。」
「でも嬉しいよ。漸くあいつも日の目を見られるんだから。」


自分の陰でしか存在を許されなかったものが、表舞台に立つ。
「囲碁を教えたら僕達を直ぐにでも超えていきそうだね。この子は。」
「ば〜か!!そんな気弱でどうするんだよ。ちょっとはプロとしての自信を持てよ。 この子が成長するまで何年あると思っているんだ。俺は負ける気なんて無いからな。勿論お前にも。」
「何なら病室に碁盤を持ってきて、現在(いま)勝負しようか。」
「面白い。受けてたつよ。」


痴話げんかを始めた両親に冷や水をかけたのは佐為の泣き声だった。
「はいはい。泣かない。泣かない。俺達の話を理解して泣いていたのか?だったら凄いけど。」
「あるかもね。佐為さん。あれでプライド高かったし。」
魂の都でもアキラより負けん気が強かった。
それを思い出してあきらは噴出した。
「笑っている場合か?お前は・・もう。」


呆れて肩を竦めるひかる。


でも其処には幸せだけが満ちていた。


二人が願っていた幸せが・・







漸く全て完結です。
最後は駆け足だったから、書かなかった部分もありますがこれで終幕です。

ヒカルの女の子バ−ジョンが上手く纏まらなかったのが原因ですが・・
3部作として初め考えていなかった作品が、それが此処まで展開しました。

お付き合い頂けて感謝します。