奇跡のさざ波〜前編『受け継いだ恋』



何時も夢を見ていた。
激しく燃ゆる感情の海原・・その悲恋。
でも私には未だ無かった感情だった。
あの人と廻り合うまでは・・


「ひかる・・起きなさい!」
そして我が家−塔矢家に響く母親の声。
世間様より少し早い目の起床は正直困る。
こう見えても育ち盛りで、睡眠不足が敵の女子学生。
「ママ早過ぎだよ〜!もう少し待ってよ・・。」
そしてママに文句を言ったが・・
「何を言っているの。この名門塔矢家の子どもが節度を守れなくてどうするの?」
そしてがみがみと説教をし始めた。


そう・・私塔矢ひかるは囲碁界のタイトル家系の生まれで、かなり有名だった。
でも本当はこの家の子どもではなく、訳ありで此処に居る。
その事を知ったのは夢のお告げだった。


昔っから自分とは違う感情が住み着いていた。
見たことも無い風景が急に懐かしくなったり、誰かを無意識で探していたり・・
奇行が目立つ子どもだった。
それが最も現れるのは囲碁をしていた時・・
「私を抜かしていきそうだな。ひかる。」
囲碁界の重鎮の父が娘の異常な棋譜模様に対し、事あるごとに感心していた。
でもひかるは囲碁が余り好きではない。
恐怖と期待が常にひかるを苦しめるからだった。
深層意識で触れてはいけないと警告音が響く。
しかし碁石を掴むと人が変わったように打つ。
それを他人は【塔矢アキラ】の再来と言ってくるが、棋力が高い者はもう一人の囲碁の薄幸天才児が類似していると囁く。
打ち筋が祖父ではなく、確実にその者だと・・。
だがそんな批評は問題ではなかった。
ひかるはひかるなのだから・・


今日の午後からの予定である勉強会。
その囲碁のゼミナ−ルの場所、因島に研修に向かった。
爽やかな風が肌に心地良い場所で、何時も窮屈な家庭にいたひかるを癒す。
胸いっぱい深呼吸して、気持ちを落ち着けた。
側の岩場に腰掛けて、そうやって休憩時間を過ごしていると・・
「君・・こんな所で何をしているんだ?」
後ろから声を掛けられる。
一人でリラックスしていたひかるは、直ぐに塔矢家のお嬢様を演じる。
「空気が美味しいからこうして空を仰いでいたの・・」
その視線を天に向けて話すと
「そうか・・なら僕も同席しようかな?」
いきなりひかるの隣に腰を落ち着け、ひかると接近する。
正直それに驚いたひかるは
「あのう・・貴方は何をしにこちらに来たんですか?」
そしてその顔を覗き込むと、ひかるは眩暈がした。
いや正確に言うと、凄く早鐘のように鼓動が高鳴った。
止められないその動揺をひかるは困っていた。


(何だろう?この熱い心は・・今まで以上に苦しい・・)
「僕は囲碁の研修生で此処まで来たんだ。多分君と一緒だよ。理由は・・」
その黒髪と整い過ぎな外見がひかるを困惑させる。
(綺麗な瞳・・昔こうやって激しい同じ瞳を感じたことがある。)
その相手に対する興味がひかるを襲う。
「ところで貴方の名前は何ていうの?私は塔矢ひかる。もうこの名前で分かるよね。素性が・・」
言い切ったそれを微笑みながら
「僕は進藤あきらと言う名前だよ。関西では少し有名だ。」


他愛無いことを話し、宿泊ホテルが違うと言うことで別れた。
でもどうしてかその余韻は残った。
(どうしちゃったのかな?私・・こんなにも彼が気になるなんて・・)
ベッドに寝そべって考え込むと携帯がなった。
「ひかる・・かなえよ。早くこないとご飯抜きになっちゃうよ。」
下の階で待ち合わせの約束をしていた越智かなえが、のん気なひかるに発破をかける。
親友のかなえは面倒見が良いが、怒らすと怖いからひかるは焦ってレストランに入った。
「ごめん・・かなえ。寝惚けてた。」
「そんなの何時もの事だから許してあげる。でも相席になっちゃったよ。」
自分達のテ−ブルに腰掛ける男子が2名。
明るい関西人少年と、奥ゆかしい雰囲気の少年。
(う・・そ。どうして彼が此処にいるの?だって・・)
先程別れたあきらが其処に座ってメニュ−を読んでいた。
意外な珍客にひかるは心拍数を上げた。
「なんや・・可愛い子が来たで・・あきら・・」
そしてあきらの視線がひかるに寄せられる。
互いが知り合って間もないのに、時が止まったように制止した。

「此処空いているかしら?」
かなえが明るい関西人少年に了解を得る。
その彼はどうやら少しひかるに見惚れていたようで、返事が遅かった。
「ええで・・大勢の方が食事は美味いし・・」
そしてあきらとひかるを我に返らせた。
「ごめんなさいね。本当はお邪魔かもしれないのに・・」
ひかるが済まなさそうに言うと
「気にせえへんでもええて・・。俺は社疾風(はやて)っていうねん。宜しくな。」
立って話していた二人は、漸く場の空気に慣れて腰掛ける。
「ひかるさん。何が食べたい?」
あきらがメニュ−を手渡しながらそう言った。
その気遣いはひかるの鼓動を更に激しくさせる。
「そうね・・シ−フ−ドのマリネなんか美味しそう。あきらさんは?」
「コ−スメニュ−でも頼むつもりだよ。」
探るように会話を運び、この持て余している心の正体に近付く。
そんな2人の遣り取りを面白くないのは疾風で、優しく見守っているのはかなえだった。
そして落ち着かない食事を終えた後・・


「もう一度夜の海を見ないか?ひかるさん・・」
耳打ちで誘い、ひかると二人になろうとあきらは行動する。
それに便乗してひかるは・・
「ひかるさんはよして・・ひかるでいいです。分かりました。直ぐに外出します。」


波打ち際で佇む2人は、不思議な感覚に陥る。
近くにいればいるほど、締め付けられる。
引き合う様に月光に照らされた波に、耳を傾ける。
「ひかる・・僕の記憶が正しければ・・君と僕は育つ家が違った存在だよね。」


忌まわしい祖父を自滅させた事件。
引き起こしたのは【塔矢アキラ】で、それにより死が早まった【進藤ヒカル】・・
語り草のように進藤家と塔矢家を隔てる事実。
それの為、進藤家は関西に引っ越した。
「知っています。本当は・・全て・・」
色素の薄い生まれつきの前髪・・そしてその塔矢家らしからぬ表情。
でもひかるは悪くないのは皆知っていて、逆にその不憫さに心を痛めてくれた。
「だからだけじゃなく僕はずっと君が・・気になってどうしようもない女の子だった。」
他府県に移動しても、どこか因縁めいた関係で繋がっている両家。
だからといってひかるは詮索はせず、あきらの事を名前でしか知らなかった。


「いつ会えるのか・・機会が欲しくて親に内緒で囲碁を勉強したんだ。」
偶然の産物ではなく、彼の努力が必然と変えた。
その違いでひかるは・・
「私は・・貴方にそこまで思われる資格無い。だって・・」
泣きそうなひかるを優しく抱き締め、そっと頬にキスをした。
「泣かないで・・ひかる。僕はむかしこうやって君を・・何時も泣かせた記憶がある。」
潤んだ瞳があきらを苦しめる。
それが分かったひかるは・・
「泣かないよ。だってまだ始まったばかりだから・・。私達の恋に近い心は・・」
応えるようにあきらの胸に体重を預けた。


温かな温もりが心地よい。
でも不安が2人を荒波に引き込む。
過去には無かった意外な落とし穴が二人を待っていた。
だがそれを知らずに今は静かに抱き締めあう。
それだけしかまだ知らない恋人だから・・


「ひかる・・彼の事が好き?」
研修から帰って2日後。
対局が重なったかなえにからかわれた。
こう見えてももてるひかるは、沢山の男性に告白された。
家が無駄に大きいので政界の者も、時折交際を求めてきた。
でも決まってひかる自身は、頑なに断っていた。
「う・・ん。でも誤解しないで。私は少し興味があるだけだから・・」
そしてやり過そうとするが・・
「隠さないでもいいわよ。かなえは嬉しいの。彼氏いない歴17年のひかるが、ついに大人の階段に・・」
可笑しそうに笑い、ひかるを赤面させる。
「失礼な!でも当たっているよ。彼にだけ何だか心が反応するもの・・」
俯いて恥ずかしそうにしているひかるに、かなえは姉貴肌を見せる。
「大丈夫よ。彼もまんざらでは無いようだし・・。一目惚れはあんまり好きじゃないけどひかるが幸せになるなら応援する。」
やる気満々なかなえを見ながら、大きな溜息と・・
(ありがとう・・かなえ。私も彼に会う努力を始める番よね。)
そして彼から聞き出した携帯番号を押す。


「でも何て話せばいいんだろう?困ったな。」
少ない接点がためらわせるが・・
暫くして電話にあきらが出た。
『もしもし・・進藤です。ひかるなのか?』
一気に跳ね上がる鼓動。
でも勇気をもって話し出す。
「あきらさん・・。ちょっと声が聞きたくて・・」
かなり変な言葉になったと思い、言いよどむひかるに
『僕も何時もそう思っている。だから・・決めたよ。』
「何を・・ですか・・」
『僕の師匠について行って上京する。君は関東人だから近くなるよ。』
思い切った計画であり、ひかるはあきらの大胆さにビックリする。
でも本当にいいのだろうか?
「ご両親はその事を理解しているんですか?何だかちょっぴり不安です。」
何時も人の顔色を伺って生きていたひかるならではの危惧だった。
しかし・・


『僕は17年も待った。気が遠くなる位・・君と出会う為に。だからもう待たない。』
彼の真剣な思いが、ひかるを優しく包む。
だがそのあきらの携帯を受け取った場所が悪かった。
放課後の学校で遠距離恋愛を満喫していたが・・
(あきら・・お前ひかるちゃんと恋人なんか?でも俺は認めへん。彼女を渡さへんで・・)
背後で会話を聞いていた疾風が嫉妬に駆られる。
恋に狂う彼もまた二人を引き裂く対策を練る。
親友より片思いの相手を上に置いての事・・
それが何を齎すのか・・何も分からない。
だが問題はそれだけじゃなかった。


塔矢家のお膳の上に並べられた見合い写真。
それを手に取り喜ぶ塔矢ママ・・
「ひかるはやっぱり彼よね。早く婚約させないと・・緒方一哉(かずや)君と・・」
その3人の男がひかるを苦難へ運ぶ。

でもまだ嵐の前の静けさを彼女は知らない。